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所在地:大阪市北区天神橋2丁目
最寄駅:JR東西線「大阪天満宮前」下車、南へ約100m |
なにわの夏を彩る天神祭は日本3大祭りの1つに数えられる。この天神祭は、村上天皇の勅命で、当宮が現在地に創建した2年後の591年(天暦5年)に始まった「鉾流神事」がもとであると伝わる。
「鉾流神事」は社頭の浜から流した神鉾の漂着した地を、その年の御旅所と定め、そこに御神霊の遷座を祭る神事で、その際、周辺の人々が、船を仕立てて奉迎したのが祭りの始まりとされている。
現在では、大阪の地盤沈下のため、橋桁が下がり、船の往来が出来なくなったため、鉾の流れとは逆方向の、上流に向けての「船渡御」となっている。
また、天神祭の特徴の1つには「講」と呼ばれる祭りのサポーターが欠かせない存在である。催太鼓(もよおしたいこ)を担当する「太鼓中」や地車を曳く「地車講」、神輿を担ぐ「鳳講」、「玉神輿講」等々、同業者の集まりや町内の有志の集まりなど、その成り立ちも歴史も異なる「講」が現在でも30あり、それぞれが天神祭りを支えるために様々に活躍している。
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[参考資料] [天神祭 2004.7/24.25] 大阪天満宮パンフレット
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[宵宮祭]のスナップ写真 (2004年7月24日:大阪天満宮境内にて)
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「太鼓中」による催太鼓。祭りの準備が出来たことを知らせるために、天満宮周辺を巡る。出発前の景気付けに、境内の中を激しく動き回る。太鼓の打ち手(願人)が6人、担ぎ手が50人、それを6組が途中交代しながら進行する。沢山ある講の中で、この講だけは「講」とは呼ばず、「中」と呼んでいる |
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境内では「地車(だんじり)講」のお囃子と龍踊りが披露されている。地車は三ツ屋根地車といい、珍しい形の地車だそうである。この地車講は天満卸売市場商業協同組合が主体となり、運営されている。 |
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太鼓を打つ人は願人(がんじ)と呼ばれる。独特の赤い被り物は烏帽子が変形したものか。 |
太鼓は豊臣秀吉より、大坂城内の陣太鼓を拝領したと伝わる。 |
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「丑日講」による『菅公ご愛用の御太刀』の奉安。本物であれば、国宝級のお宝が無造作に展示されていた 。 |
「御旗講」は『天神像』と『紅白の錦旗』などを奉安。
この講は大阪府下の飲食店の有志で構成されている。 |
安倍安名の御迎人形
御迎人形は歌舞伎や浄
瑠璃で評判の高い登場
人物などが作られてい
る。 |
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シジミで作った藤棚。
江戸時代の中頃より、意外性のある材料で祭りの場で飾ることが流行った。 |
江戸後期の最盛期には50体を越えたといわれるが、幕末・維新の戦乱や、先の戦災の影響により、現在、残るものは、17体だけになっている。 |
このシジミの藤棚はかっては天満宮の定番だったが、1926年(大正15年)より、途絶えていたものを、最近になり、天満天神御伽衆により復活した。 |