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天神祭のメインイベントである、御神霊の渡御には、年に一度、菅原道真の御神霊が氏地の様子を巡見されるという意味合いも込められ、御神霊に氏地の平安をご覧いただこうと、氏子たちが御迎えの行列を組んだのが「陸渡御」や「船渡御」の始まりとされている。
特に「船渡御」は、当社周辺の氏子たちが、神霊にお供する「供奉船」を仕立ててお供し、反対に、御旅所周辺の氏子たちは、多数の「御迎船」を仕立てて、御神霊を奉迎するという、天神祭独特の形式が見られる。
江戸初期の元禄期(1688〜1704年)頃から、各町内では趣向を凝らした風流人形(「御迎人形」と呼ばれる)をこしらえ、町角で披露したあと、御迎船に華やかに飾り立てるようになった。
今年の天神祭は、幸い好天に恵まれ、新聞の報道などによると「船渡御」ため、船に乗り込んだ人は約1万5千人。奉安船、供奉船、奉拝船など100余艘。これを見物する大川の岸辺や橋の上からの見物人は約93万人(大阪府警調べ)という数字が発表されていた。
全く身動きが取れない中での祭り見物であったが、「大阪の祭り」を堪能した2日間であった。
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[参考資料] [天神祭 2004.7/24.25] 大阪天満宮パンフレット
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[陸渡御]のスナップ写真 (2004年7月25日:大阪天満宮周辺にて)
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陸渡御の先頭は「太鼓中」の催太鼓。
渡御の前触れの太鼓を威勢よく打ち鳴らす。 |
天狗のような面の「猿田彦」。
猿田彦は天孫降臨のとき、ニニギノミコトを案内した時の神様。これに因みここでも道案内の役らしい。 |
「神鉾講」は祭りの開幕を告げる「鉾流神事」を務める。ここでは渡御の露払いの役柄を務める。 |
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昭和30年代頃までは大阪で祭りと言えば、どの祭りも「地車」が主役だったが、現在では殆ど見かけなくなった。 |
「ソーレ」の掛け声とともに、元気よく踊る「傘踊り」。外国の子供も参加していた。 |
綺麗に着飾った「稚児行列」。
稚児の当人達よりも付き人の母親の方が緊張気味。 |
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「御菅蓋(おすげがさ)」はご神体を覆う道具で、蓋の部分は菅(すげ)、垂れ布は錦で作られた豪華なもの。 |
渡御の主役の登場。菅原道真の御神霊を奉安している神輿「御鳳輩(ごほうれん)」は古式に則った衣装で粛々と進む。 |
一転して威勢のよい「鳳神輿」(写真)と「玉神輿」で陸渡御はクライマックスを迎える。 |
[船渡御]のスナップ写真 (2004年7月25日:銀橋の上から) |
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黄昏の大川を船渡御の列発進。
船渡御も先頭は催太鼓。 |
「供奉船(ぐぶせん)」には溢れんばかりの人が乗船している。
「地車講船」(上の写真)と「福梅講船」と「花傘講船」(2隻が連結されている)。 |
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鉦と太鼓を響かせ、軽快に動き回る「どんどこ船」。 |
舞台船の1つ「文楽船」。船上では文楽人形が三番叟を奉納。 |
「奉安船」の1つ「鳳神輿」。
奉安船は静かに進む。 |
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「奉安船」と「奉拝船」が行きかう川面に光が交錯する。 |
「奉拝船」は企業が多く出している。
「めざせV2」は今となってはむなしい。 |
当日は天神祭奉納花火として「水都祭」が平行して開催されている。 |