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所在地:大阪市城東区成育5丁目
最寄駅:地下鉄谷町線「関目高殿」下車、南西約200m |
関目神社の創建不詳であるが、伝えによると、1850年(天正8年)豊臣秀吉が大阪築城の際、この付近を防衛線の一部として重視し、一策として関目から古市・森小路の間10余町の道路(京街道)を屈折させて(俗に七曲がりという)敵兵の進軍を俯瞰出来るようにした。
これと同時に北の護りとして武神の須佐之男尊を祀り崇敬し、同時に、大阪城鬼門鎮護の神として毘沙門天・牛頭天皇を勧請し、小祠を建立したのが始まりであるといわれている。1872年(明治5年)村社に列せられ須佐之男尊神社と称した。
なお、七曲がりの一部は関目神社とは都島通りを挟んで旭区高殿町に残されている。 |
[参考資料] 『須佐之男尊神社 通称関目神社』 現地案内板 |
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関目神社の正面鳥居。鳥居の扁額には「須佐之男尊」とある。 |
流れ造りの本殿は1977年(昭和52年)の再建。 |
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境内社の毘沙門天王社。1985年(昭和60年)の再建。 |
本殿裏にある「明治天皇御駐輦之趾」の碑。駐輦(ちゅうれん)とは天子の乗った車が止まることで、明治天皇が1868年(慶応4年)大坂行幸の砌、当地付近の茶屋で小休止された。横の小社名は案内板はなく不明。 |
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境内に建つ「関目発祥の地」の碑。横に建つ案内文によると、関目とはこの地に見張り所(目で見張る関所)が在ったところから起こったとあったが、現在の町名からはその歴史を思い起こすことは出来ない。 |
境内に聳える榎木。 |
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[2012年11月10日参拝] |
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