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神社めぐり
神社めぐり 朝日神明社
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朝日神明社 所在地:大阪市此花区春日出中1丁目
最寄駅:阪神なんば線「千鳥橋」下車、北港通りを西へ、春日出交差点を南へ入る。
当社は元は大阪市中央区(旧東区)神崎町にあり、浪速三明神の一つとして有名であったが、1907年(明治40年)此花区川岸町にあった皇太神社を合祀したもので、1931年(昭和6年)川岸町から現在地へ遷宮している。

 朝日神明社の『縁起書』によれば、平将門の乱(承平天慶の乱)で将門に討たれた平国香の仇を報ぜんと、国香の長男平貞盛が、天慶年間(938年~947年)浪速の地に天照皇大神を奉斎し、戦勝祈願を行ったことを創建としている。その後、貞盛が将門を討ち取ったことを、帝に奏上したところ、帝は神徳を称えられ「朝日宮」という神号を賜った。以後、朝敵追討の際は奉幣使を遣わし、敵徒降伏の祈願が行われたという。
 1185年(文治元年)源義経が平家追討のため、西国下向の際、当社に立ち寄り、戦勝を祈願している。この後に、義経は梶原景時と、「逆櫓の論」を行ったが、義経は当社に祈願をこめているので、戦勝疑いなしと敢えてこの論争を行なったと言われ、この故事の由縁から一名を「逆櫓社」とも呼ばれる。

 皇太神社の由来は、旧地の川岸町を開拓した佐竹甚兵衛が1835年(天保6年)伊勢神宮より分霊を勧請し、神祠を造って、新田の鎮守社として奉斎したのが創始である。
 
[参考資料] 『朝日神明社の沿革』 朝日神明社パンフレット
朝日神明社正面鳥居 朝日神明社北側鳥居
 朝日神明社正面鳥居。 朝日神明社北側の鳥居。右に見える社殿は春日社。
朝日神明社拝殿 朝日神明社拝殿
先の大戦の空襲で焼失。1979年(昭和24年)に本殿、
1965年(昭和40年)に拝殿が復興され、現在に至っている。
春日社拝殿 春日社石標
摂社・春日社
 当社の由来は1698年(元禄11年)大阪の雑賀屋七兵衛が幕府に地代金2140両を納めて、当地を開発。元禄15年検地を受け、春日出新田と名付けられた。地名の謂れは新田を開墾中、叢から躍り出た一頭の鹿を、作業員たちが撲殺した。七兵衛はこの鹿を春日明神の使いとして、一社を創建、これを祀った。「春日より鹿が出てきた」から「春日出」称したという。もとの社殿は先の大戦の空襲で焼失したが、現在の春日社の本殿は1995年(平成7年)奈良・春日大社の摂社・本宮神社(御蓋山山頂に鎮座)の旧御社を移した。写真の社殿はその折、本殿の覆屋として建てられた。右の石標は当時の春日大社葉室宮司の筆による。
 稲荷社  朝日神明社東側鳥居
摂社・初日稲荷社
旧地は大阪市中央区神崎町に鎮座。先の大戦の空襲で焼失、1991年(平成3年)の再建。
朝日神明社東側の鳥居。 正面に見える赤い鳥居は初日稲荷社。
ご朱印
朝日神明社朱印
[2014年8月22日参拝]

神社-140/TTL-760

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