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所所在地:南河内郡千早赤阪村水分
最寄駅:近鉄長野線「富田林」駅下車、金剛バスで白木線「東水分」行、「水分」下車、国道309号線を西へ、(バスは1時間1本程度) |
建水分神社(たけみくまリじんじゃ)は、『延喜式神名帳』にも記載の式内社で、その由緒は今から1900年以上も大昔、西暦92年(崇神天皇5年)飢饉や疫病にみまわれ、百姓が農事を怠ったとき、諸国に池溝を掘らせ農事を勧められ、この時、勅して金剛葛城の山麓に水神として奉祀したの創建とする。
当社は金剛山の総鎮守で、古来より付近18カ村の産土神であると共に、累代此地を本拠とした楠木氏の氏神でもある。
1334年(建武元年)後醍醐天皇は、楠木正成に命じ、元は山下にあった社殿を現地山上に遷し、本殿、拝殿、鐘楼等を再営させ、建武中興成就のお礼としたと伝わる。
戦国時代、織田信長は河内国攻略に際し、当社領を悉く没収し社頭は一時衰退したが、豊臣秀吉は再び田地を祈祷料として寄進し、深く崇敬するところとなり、旧来の社領を復するに至った。
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[参考資料] 『建水分神社御略記』 建水分神社パンフレット |
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山上にある本殿に向かう階段。
大鳥居の「正一位 水分大明神」の額は、後醍醐天皇宸筆と伝えられる木額の表面が摩滅したため、1705年( 宝永2年)前大納言葉室頼孝がその聖筆をなぞり、金銅製にて模造した。 |
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階段を上り詰めると、すぐに拝殿になる。
奥の本殿は春日造、左右両殿は流造りで国の重要文化財に指定されている。 |
拝殿から本殿を拝む。 祭神は天御中主神を中心に
天水分神ら4神、計5神を祀る。
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楠木正成を祀る境内摂社の南木(なんぎ)神社。
1336年(延元元年)正成が湊川で戦死したが、後醍醐天皇はその死を悼み、その像を刻ませ、当社境内に祀った。そして、後村上天皇より「南木明神」の神号を賜った。
1697年(元禄10年)領主石川氏が、社殿を再建。
この社殿は1934年の室戸台風により崩壊し、現在の社殿は1940年(昭和15年)の再造営されたものであるが、その社殿も、現在修復中であった。 |
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[2004年10月11日参拝] |
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