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所在地:東大阪市上石切町2丁目
最寄駅:近鉄奈良線「石切」下車、石切神社への参道を下る。
約200Mのところでガードを左にくぐり、坂道を登る |
ここ石切劔箭神社上之宮は社伝によれば、今から約2660余年前(神武天皇2年)上之社として創建されたとのことで、現在の本社(下之社)よりも歴史的に古いことになる。
江戸時代1765年(明和2年)の覚書には社内の除地として石切劔箭大明神と共に上之社石切劔箭大明神が見える。また『河内名所図会』〔1801年(享和元年)刊行〕には石切劔箭神社は『社説に云、上ノ社は哮峯にあり、下ノ社は当地也』とあり、近世には上下2社が存在していた。
1907年(明治40年)上之社は下之社に合祀され、跡地に記念石が建てられ、「奥の院」と称していたが1972年(昭和47年)に上之宮として再興され、現在に至っている。
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[参考資料] 『日本歴史地名体系』大阪府の地名編 平凡社 |
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上之宮の鳥居と参道。
本社の混雑振りに比べ、ここまで参拝に来る人は少ない。 |
上之宮の本殿。
祭神は、本社と同じ饒速日尊と可美真手命を祀る。 |
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饒速日命の妃で可美真手命の母である登美夜毘売(別名は三炊屋媛(みかしきやひめ)ともいう)を祀る登美霊社。彼女は饒速日命に討たれた長髄彦の妹でもある。 |
上之社の手前にある「石切夢観音」。建物の上では金色の天女が舞っている近代的な建物で、電車の窓からもこの天女が見える。 |