大阪再発見の表紙に戻る
神社めぐり
神社めぐり 石切劔箭神社
ロゴをクリックすれば
一覧表に戻ります
石切神社上之宮へ



石切劔箭神社 所在地:東大阪市東石切町1丁目
最寄駅:鉄奈良線「石切」下車、参道を約1000M。
OR、近鉄東大阪線「新石切」下車、東へ約500M、左手に大鳥居が見える
石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)は俗に「石切さん」、「デンボ(腫れ物)の神さん」と呼ばれ、大阪の庶民に親しまれている神社の1つである。石切劔箭神社の名は、どんな強固な岩でも切れ、刺し貫くことの出来る、剣と箭(矢)をご神体として祀っていることによる。その縁起は明確ではないが、『延喜式』神名帳にある河内郡の小社「石切劔箭命神社2座」に比定される。
 社伝〔『遺書伝来記』:1536年(天文5年)〕によれば、今から約2660余年前(神武天皇2年)宮山に上之社が建てられ、崇神天皇の代(今から約2100年前)に下之社(現当社)に可美真手命(うましまでのみこと)が祀られたと伝わる。
 1872年(明治5年)の『神社書上』では上之社を御親神社と記載されており、上之社の祭神は饒速日命(にぎはやのみこと)、下之社の祭神はその子可美真手命を分けて祀っていたことが判るが、現在では上之社と下之社とも祭神は饒速日命と可美真手命の2神を併せ祀っている。
 この2祭神から推測して、交野市私市にある「磐船神社」と同じく、物部氏祖伝承と深い関係があると思われる。
 『旧事本紀』によると、饒速日命が天神の命をうけ天磐船に乗って、河内国河上哮ヶ峯(たけるがみね)に天より降り、既にこの地に勢力を拡大していた一族の長である長髄彦の妹登美夜毘売(三炊屋媛)と結婚し、可美真手命が生まれている。天皇に服従しなかった長髄彦を討ったため、神武天皇2年に天皇より神霊の剣を授けられたと伝わり、これが当社の名前の由来にもなっている。
 なお、最初にあげた石切神社が何故「デンボの神さん」と呼ばれるようになたのかは定かではなく、それもそう古いことでなく、昭和になってからのことらしい。一説によると、どんな硬いものでも切るという石切さんのご神体が、デンボも切ってくれるところから、この信仰が広まったとのことであるが、案外そんなところも知れない。

[参考資料] 『石切劔箭神社参詣のしおり』 石切劔箭神社パンフレット
         『日本歴史地名体系』大阪府の地名編 平凡社
石切劔箭神社大鳥居 石切劔箭神社本殿前の鳥居
大鳥居。デザインが現代風である。 本殿の前の鳥居。
石切劔箭神社本殿 石切劔箭神社絵馬殿
本殿。 絵馬殿。
お百度参りをする人々 お百度参りをする人々
お百度参りをする人々。沢山の老若男女が願を叶えるため、手に回数を確認するための紙縒りを持ち、黙々とお参りをしている。
石切劔箭神社参道 石切劔箭神社参道
年末の参道の風景。人通りは少ないが、これが初詣の時には人、人、ひとで埋め尽くされる。
ご朱印
石切神社朱印
[2004年12月25日参拝]

神社-053/TTL-322

1つ前に戻る このページの上に戻る 表紙に戻る

Copyright©2015.Yoshi Planning.All rights reserved. 写真及び文章の無断使用は禁止します。