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所在地:羽曳野市壺井
最寄駅:近鉄南大阪線「上ノ太子」下車、徒歩約20分。 |
この壺井八幡宮があるあたりは、河内源氏発祥の地として知られる。平安中期の1020年(寛仁4年)源頼信が河内守の任官し、この地に私邸を営んだ。
当社の縁起は、壺井八幡宮は、前9年の役(1051~63年)の際、源頼義・義家父子が山城国・石清水八幡宮の神霊を奉じて東北に出陣し、平定に成功。凱旋後、本拠地壺井に戻った1064年(康平7年)にこの石清水八幡宮の神を勧請、私邸の東側に祀ったのが始まりであり、また、八幡宮と並んで建つ壺井権現社は1109年(天仁2年)源義家の5男義時が氏神として源頼信、頼義、義家の三代を祀るため創建したと伝わる。
南北朝から戦国時代にかけ、度々兵火に見舞われ、荒廃したが、江戸時代の1701年(元禄14年)
徳川綱吉の命で柳沢吉保が再建したのが現社殿である。
この社殿も再建後300年にもなり、傷みがひどくなっていたが、1990~95年(平成2~6年)には平成大修復の工事がなされ、往時の輝きを取り戻している。
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[参考資料] 『現地説明板:河内ふるさとの道』 羽曳野市
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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壺井八幡宮は、小高い丘の上にあり、急角度の階段を登ると真新しい鳥居が迫ってくる。 |
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河内源氏三代を祀る壺井権現社(右側)と石清水八幡宮の神霊とする壺井八幡宮(左側)朱色が非常に鮮やかである。八幡宮の祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を祀る。 |
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参拝した当日、奈良からの団体のツアーがあり、宮司さんが神社の縁起や、源氏三代にまつわる解説をされていた。 |
境内に茂る巨大な楠の木、樹齢は1000年とか。
壺井八幡宮の歴史を全て見守ってきた老木である。
大阪府指定の天然記念物。 |
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神社の階段の手前にある「清泉壺井」。前9年の役の際、源頼義、義家父子の軍は飲料水の確保に苦しんだが、弓の先で崖を突き崩したところ清水が湧き出、のどを潤した軍勢により勝利を収めた。凱旋の折、この清水を壷に入れ持ち帰り、当地の井戸にうがって沈め、記念とした。この故事が壺井の地名の起こりとされているが、それよりも220年の前の880年(承和4年)の文書に既に「石川郡壺井」の地名が記されているとのことである。(現地解説板) |
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[2005年6月9日参拝] |
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