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所在地:泉佐野市日根野
最寄駅:JR阪和線「泉佐野」下車、南海バス「犬鳴山」行きで
「東上」下車すぐ 慈眼院の隣り |
当社は「延喜式」神名帳の日根郡10座の1つで、その縁起は下記資料によると『泉州志』よりの引用として、聖武天皇の時、大鳥神社の神鳳をこの地に勧請し祀ったのを始まりとしている。
日根神社のホームページにはこれより更に時代が遡り、神武天皇が東征の時、孔舎衛坂の戦いで敗れ、路を転じて紀伊に向う途中に当地に立ち寄り戦勝を祈願、『日の御子が根拠地とした野原』であることから『日根野』と呼ばれ、ここに日根神社が建てられたとする説のほか、674年(白鳳2年)天武天皇が大井関山に社殿を造営し、大鳥神社の神鳳をこの地に勧請したのが当社(大井関大明神)であるとの伝承も紹介している。
(更には、大鳥神社の神鳳勧請が192年(仲哀天皇2年)とする伝承もあるとのことである)いずれにしても、古くからこの地域を本願地とした日根造の祖神を祀る神社であったと考えられる。
その後、南北朝の1353年(正平8年)槌丸(土丸)城の戦いで兵火に遭い、社殿が焼失するも2年後に再建されているが、1585年(天正13年)豊臣秀吉の紀州攻撃の戦禍に巻き込まれ罹災している。
1600年(慶長5年)豊臣秀頼は吉田半左衛門を奉行として再建を命じ、慶長7年には社殿の再建がなっている。また1678年(貞享4年)には岸和田藩主岡部氏が水田一町余を寄進している。
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[参考資料] 『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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参道の正面に朱塗りの大きな鳥居が建つ。
右側の土塀の中に社務所があるが、この建物は明治初年に廃寺になった神宮寺(慈眼院)の塔頭の1つ、下の坊であった。 |
日根神社拝殿。
日根神社のホームページには『1778年(天明8年)本殿屋根葺き替え・拝殿の修理』とあり、また明治以降50年ごとに、遷宮・本殿屋根葺き替えが行われているが、建替えという記載がないので、江戸時代の建造物ということになる。 |
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日根神社本殿。
鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアヘズノミコト)と玉依毘売命(タマヨリヒメノミコト)を主祭神として祀る。
慶長年間に再建されたという本殿は大阪府指定の文化財である。
日根神社では50年に1度式年遷宮が行われる。最近では2002年(平成14年)に行われ、本殿の屋根葺き替えが行われている。 |
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摂社の1つ比売神社。天照大御神と須佐之男命を祀る。
比売神社はもとは溝口大明神とも、日根神社に対して下御前とも呼ばれた。「延喜式」神名帳の日根郡10座の1つである。いつの頃か日根神社に遷され、かつては本殿と向かい合うようにして建てられていたが、1908年(明治41年)日根野村内の神社が全て日根神社に合祀されたおり、他の神社と共に現在地に祀られたと思われる。 |
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[2007年3月29日参拝] |
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