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所在地:交野市郡津1丁目
最寄駅:京阪交野線「郡津」駅下車、東へ |
当社は郡津の産土神で、その創建は詳らかではないが、もと郡津一の宮といわれ、白鳳時代に当地に置かれた交野郡衙の郡司により創建されたと言われる長宝寺と共に、神仏習合の形で栄えていた。
1960年(昭和35年)境内から白鳳期の単弁丸軒瓦が発見され、火を受けた鎌倉期に瓦片の存在から、長宝寺はこの時期に焼失、廃寺になったものと思われ、一の宮がこの地の氏神として祀られていたと思われる。
明治時代の神社の統廃合の際、周辺の神社の神々が合祀され、名も郡津神社と改められ、現在に至っている。
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[参考資料] 『現地案内板』
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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郡津神社正面の鳥居。
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郡津神社拝殿。
主祭神は素盞鳴命、天照皇大神、表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長足姫命を祀る。 |
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境内末社。
拝殿には金毘羅大神、天神地祇、稲荷大神、貴船明神が祀られている。 |
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郡津神社境内の北側の空地に建つ「白鳳時代長宝寺遺跡」碑。
ここからは白鳳期の単弁軒丸瓦が発見されている。
鎌倉時代に焼失、その後江戸時代に存在した長宝寺は郡津神社の宮寺で、明治初年まで寺子屋が開かれていたと伝える。 |
境内に戦前のスローガンであった「八紘一宇」の文字を埋めた状態の石碑があったが、文字を埋めてまで、この石碑を残す価値があるとは思われないが。 |
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[2008年2月25日参拝] |
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