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所在地:四條畷市南野2丁目
最寄駅:JR学研都市線「四條畷」下車、東へ、四條畷神社の参道階段の手前を北へ、約200m |
当社の創建は『神社由緒記』には「平安初期の寛平・延喜年間(889~923年)の頃、飯盛の麓に鎮座したとあるが、往昔のことは不詳である」としている。
1815年(文化12年)の『南野村改邑鑑』には「(住吉吉田神社は)現在まで三牧大和とその子伊織、孫大和と3代神職が続いているが、それまで社家がなかったので(三牧家が神官となった)元文年間(1736~41年)住吉大明神の神主吉田家に願い出て受領したので、これを機に住吉神社と平田神社とが合祀した」との記録が残る。
「住吉神社」は往時より飯盛山麓にあり、その時期や、海の神である住吉社がこの地に祀られた理由などは不詳であるが、「平田神社」はもとは南野村字平田にあり、1853年(嘉永6年)の『南野村庄屋重右衛門扣帳』には「慶長年中(1596~1615年)の頃、この地で打死した平田という人の御霊を祀る祠があった」とある。慶長年間に打死(討死?)と言うことは大坂の陣の戦死者を祀ったものか。
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[参考資料] 『現地案内板』&『四條畷市史』 |
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住吉平田神社の鳥居。
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下の道から本殿へは一直線で225段の階段が伸びている。
年寄りには一気に登るには息切れする段数であるが、足腰を鍛えるためのトレーニングには持って来いの場所である。
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住吉平田神社の拝殿。
住吉大社の祭神、表筒男命・中筒男命・底筒男命・神宮皇后の4神を祀る。
社殿への階段の脇に建てられてあった記念碑の碑文によると、1988年(昭和63年)不測の劫火により、神殿が炎上。南野用水組合を初め、氏子崇拝者の奉賛により、1990年(平成2年)に新しく建て替えられている。
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境内摂社の天照大神(左側)と八幡宮(右側)。 |
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[2008年4月25日参拝] |
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