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所在地:四条畷市南野2丁目
最寄駅:JR学研都市線「四条畷」下車、東北へ約1000M |
当社は1348年(正平3年)四条畷の戦いで殉死した楠木正行を主神に、弟正時以下24柱が祀られている。
社務所で買い求めた「略記」によれば、神社の歴史は比較的新しく、地元の「住吉平田神社」の神主、三牧文吾らの願い出により、1889年(明治22年)勅許が下り、「四条畷神社」という社号も賜り、別格官幣社に列格された。社殿が完成し御鎮座祭が執り行われたのは、1890年(明治23年)のことである。
なお、「太平記」で語られている、「四條畷古戦場」と「楠木正行戦死地」は、大東市四條から四條畷市附近にわたるという説と、東大阪市四條の戦場説とがある。
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[参考資料] 『四条畷神社略記』 四条畷神社パンフレット |
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JR「四条畷駅」から北東へ約1Kmの道程。この鳥居をくぐり階段を上がれば、本殿がある。 |
参拝した時間帯(3時過ぎ)は拝殿の前には人影は全くなかった。 |
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摂社の御妣(みおや)神社。正行、正時兄弟の母を祀る。 |
社殿の正面鳥居は神明鳥居と呼ばれ、1890年(平成2年)鎮座100周年の当り、伊勢神宮から贈られた。 |
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境内末社の本有源招魂社。
元は飯盛山東峰有源山に祀られていたが、2003年(平成15年)4月の当社に奉遷され、2007年(平成19年)4月に新しい社殿が建立され、鎮座された。 |
境内末社の楠天神社。
祭神に菅原道真を祀る。
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境内にあるこの楠木父子の「桜井の別れ」の石像は島本町の桜井駅跡にある銅像と非常によく似ていることに、気が付いた。(ひょっとしたら同じ石像かも知れない) |
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[2003年8月24日参拝] |
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