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所在地:四条畷市南野4丁目
最寄駅:JR学研都市線「四条畷」下車、旧国道170号線に出て北へ約300m。 |
和田賢秀は楠木正成の弟正季の子で、楠木正行とは従兄弟同士である。、父正季は兄正成と湊川の合戦でともに戦死したが、賢秀も1348年(正平3年)1月、四條縄手の戦いで、正行、正時兄弟と行動をともにし、正行兄弟が戦死した後、単身高師直の陣に深く進入し戦死している。かつて味方であった湯浅党の者に背後から討たれ、戦死した時の賢秀の年齢20歳前後だったという。
また、賢秀は剃髪して新発意(しんぼっち)と称して合戦に臨んだとも伝わり、和田の新発意とも呼ばれている。(新発意とは新たに仏門に入ったものを言う。初発心)
伝説によれば、討死の際に敵将の首に噛み付き睨んで放さず、敵はそれが因で死んだと言う。この逸話がもとで土地の人々は賢秀の霊を「歯噛(神)さん」として祀っているとのことである。
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[参考資料] 『現地解説板』 |
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賢秀の墓は四条畷市南野4丁目、旧国道170号線(東高野街道)に面してある。墓の前は「塚脇」というバス停。
この墓は大阪府の史跡の指定を受けている。 |
墓石は高さ約1.2m、正面には「和田源秀戦死墓」とあり、『ふるさと四条畷』誌によると、墓石の裏面に「むかし問へは すすき尾花の あらし吹く 天保二年(1831年)九月
浪華 永田友之誌」と刻まれている。
この墓地はJR「四条畷駅」西側にある楠木正行の墓と同じく四条畷神社のの管理下にある。 |
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所在地:東大阪市上四条町
最寄駅:近鉄奈良線「瓢箪山」下車、商店街を南へ約300m、診療所を角を東へ、約800m |
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「小楠公終焉所」の碑が建つ霊光院より、少し下ってくると「歯神さん」を祀る祠が有る。 |
現地に建てられてある解説碑文によると
「この祠の神霊は和田賢秀で、賢秀がこの地の戦いの時、自分の刀が折れ、敵の刀を口で受け止め、その刃を歯で噛み切ったところから歯神として崇められ、歯痛に効く神さんとして、古くから信仰され、歯神さんとして人々から敬神されている」とあった。
四条畷市にある賢秀の墓地の解説には「敵将の首に噛みつき、放さなかった」とあり、当地では「刃を噛み砕いた」となっている。
いずれも歯にまつわる伝承であるが少し形が変わって今に伝わっているようである。 |
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