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史 跡
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楠木一族の足跡へ



正行終焉の地 所在地:東大阪市上四条町
最寄駅:近鉄奈良線「瓢箪山」下車、商店街を南へ約300M、診療所を角を東へ、約1KM
東大阪市上四条町にある「霊光院」という寺院の入り口に「小楠公終焉所」と刻まれた大きな石碑が建てられているが、この場所が石碑通りの楠木正行の戦死の場所であるかは定かではない。
 楠木正行は「四條縄手の合戦」で約3千騎を率いて高師直が率いる6万騎と戦いの末、弟正時と差し違え、自害という壮絶な最後をとげたという。
 正行がこの戦いで戦死した四條縄手は現在の四条畷市付近であったというのが通説であり、JR線「四条畷駅」の西側にはその墓が建てられている
 一方では、「太平記」には正行は六万寺の往生院に本陣を置いたとあり、正行が戦死したのはこの往生院の近く、現在の東大阪市四条町付近であったと言う説も根強く残っている。
 霊光院に建てられている石碑のいわれは、1888年(明治21年)当時この土地を所有していた長野某という人がこの場所を掘ったところ、、多数の人骨や武具などが出土した。長野氏はこれを伝承の四条綴の合戦の時の遺物であると考え、これを丁重に埋め戻し碑を建てたとのことである。
 また、この「霊光院」と道を隔ててその名も「楠公院」という寺院があり、この寺院の境内からも人骨や武具などが出土したので、供養塚が建てられてあるとの事だったが、寺院はつい最近まで存在したようであるが、現在は宅地に造成されて、新興住宅に姿を変えており、供養塚は確認することは出来なかった。
 この地は応仁の乱の後、管領畠山氏の相続争いによる戦いの場にもなっており、武具などが出土する可能性が大いにある地域と思われる。

[参考資料]  『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
「小楠公終焉所」石碑 霊光院入り口に建つ「小楠公終焉所の碑。
自然石に文字が彫られているが、この部分だけでも2m近くある大きな石碑である。
石碑の側面には「昭和33年(1958年)建立」とあり、当初建てられたものが今に伝わっているものではない。
霊光院本堂。
真言宗醍醐派の寺院である。
霊光院本堂

史跡-139/TTL-574

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