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所在地:四条畷市雁屋南町
最寄駅:JR学研都市線「四条畷」西口下車、府営住宅の広い道を西へ約150m、府道162号線を北へ約300m
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1348年(正平3年)1月5日、四条縄手の合戦に敗れて自害した楠木正行・正時の遺骸が葬られたのはこの地であった伝えられ、当時は土を盛った上に墓石が置かれただけの墓所であった。
80年後の1429年(正長2年)に当地の人々が彼らの塚の両脇に2本のクスノキの苗を植え、クスノキはその後成長を続け、墓石を包み込み、2本が1本に合し、現在に至っている。
1808年(元禄2年)当地を訪れた貝原益軒はその旅行記『南遊紀行』に「畑の茶屋のかい道より、4町ばかり西に、刈谷村有、此所に楠正行、正時兄弟の墓あり、大道のほとりにあらず、小石碑を立、大なる楠木あり。」と記している。
江戸時代までは「楠塚」と呼ばれ、約1畝(約100u)程度の面積だったが、明治に入り、南朝称揚の時代風潮の中で、墓域拡張と巨石碑建立の運動がおこり、地元有志の土地取得、寄付により、墓域は約1町歩と拡大、1878年(明治11年)には巨木に相応しい大碑石が建立された。
現在、墓は四条畷神社の管理下にあり、墓域は大阪府指定史跡(指定名称は「伝楠木正行墓」)となっている。
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[参考資料] 『現地案内板』 畷子文化研究保存会
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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府道162号線と160号線(左の写真の手前の道)が交わる三叉路の奥まったところに、楠木正行の墓がある。
この墓の正面の道を東に約1.2km程進むと四条畷神社がある。 |
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楠木正行の墓標。
拝殿(上の右側の写真)の奥右手に建つ。大碑石の文字は大久保利通の揮毫になるもので、1878年(明治11年)の建立。
本石の高さ約5.5m、礎石、中台を含めると約7.5mの高さになる巨大な墓標である。 |
境内に建つ楠木夫人の碑(右側の大きい方)。この碑は1902年(明治35年)の建立。 |
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玉垣の外からクスノキを望む。右端は拝殿。 |
樹齢580年の巨大なクスノキ(高さ約25m、幹周り約12m)は大阪府指定の天然記念物。クスノキの前にある天正12年銘(1584年)の高さ1m程の小石碑は「南無権現」と刻まれているとのことだが、玉垣の外からは確認は出来なかった。貝原益軒が旅行記『南遊紀行』に記している小石碑はこの石碑のことと思われる。 |