大阪再発見の表紙に戻る
史 跡
ロゴをクリックすれば
一覧表に戻ります
[更新記録]
・11/10/22  四条畷神社のページから「正行の墓」を分離し、写真を追加
四条畷神社へ
和田賢秀の墓へ
楠木一族の足跡へ
楠木正行の墓(1) 所在地:四条畷市雁屋南町
最寄駅:JR学研都市線「四条畷」西口下車、府営住宅の広い道を西へ約150m、府道162号線を北へ約300m
1348年(正平3年)1月5日、四条縄手の合戦に敗れて自害した楠木正行正時の遺骸が葬られたのはこの地であった伝えられ、当時は土を盛った上に墓石が置かれただけの墓所であった。
 80年後の1429年(正長2年)に当地の人々が彼らの塚の両脇に2本のクスノキの苗を植え、クスノキはその後成長を続け、墓石を包み込み、2本が1本に合し、現在に至っている。
 1808年(元禄2年)当地を訪れた貝原益軒はその旅行記『南遊紀行』に「畑の茶屋のかい道より、4町ばかり西に、刈谷村有、此所に楠正行、正時兄弟の墓あり、大道のほとりにあらず、小石碑を立、大なる楠木あり。」と記している。
 江戸時代までは「楠塚」と呼ばれ、約1畝(約100u)程度の面積だったが、明治に入り、南朝称揚の時代風潮の中で、墓域拡張と巨石碑建立の運動がおこり、地元有志の土地取得、寄付により、墓域は約1町歩と拡大、1878年(明治11年)には巨木に相応しい大碑石が建立された。
 現在、墓は四条畷神社の管理下にあり、墓域は大阪府指定史跡(指定名称は「伝楠木正行墓」)となっている。
[参考資料] 『現地案内板』 畷子文化研究保存会
         『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 
楠木正行の墓所正面 楠木正行の墓所礼拝所
府道162号線と160号線(左の写真の手前の道)が交わる三叉路の奥まったところに、楠木正行の墓がある。
この墓の正面の道を東に約1.2km程進むと四条畷神社がある。
大久保利通の揮毫による墓標 楠木夫人の碑
楠木正行の墓標。
拝殿(上の右側の写真)の奥右手に建つ。大碑石の文字は大久保利通の揮毫になるもので、1878年(明治11年)の建立。
本石の高さ約5.5m、礎石、中台を含めると約7.5mの高さになる巨大な墓標である。 
境内に建つ楠木夫人の碑(右側の大きい方)。この碑は1902年(明治35年)の建立。
樹齢550年と推定されるクスノキ 楠木正行の墓側面から見たところ
玉垣の外からクスノキを望む。右端は拝殿。
樹齢580年の巨大なクスノキ(高さ約25m、幹周り約12m)は大阪府指定の天然記念物。クスノキの前にある天正12年銘(1584年)の高さ1m程の小石碑は「南無権現」と刻まれているとのことだが、玉垣の外からは確認は出来なかった。貝原益軒が旅行記『南遊紀行』に記している小石碑はこの石碑のことと思われる。

史跡-194/TTL-741

1つ前に戻る このページの上に戻る 表紙に戻る

Copyrightc2015.Yoshi Planning.All rights reserved. 写真及び文章の無断使用は禁止します。