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楠木一族の足跡へ



飯盛山 所在地:大阪府大東市北条
最寄駅:(四条畷神社側から登る場合)
JR学研都市線「四条畷」下車、東北へ約1000Mに登山口在り、ここから約40分で山頂に到る
飯盛山(いいもりやま)は生駒連山の西北端に派生した支稜の一角に位置する山で、登山コースも、四條畷神社から、野崎観音から、室池から、など沢山のコースがあり、比較的簡単に登山気分が味わえる。
 今日は四条畷神社から野崎観音に抜けるコースを選んだ。山頂は南北朝から戦国時代の山城「河内飯盛城跡」で、つる草にうもれた石塁がいたるところに残っている。
 この山は、古来要害の地として戦略的な役割を果たしてきたが、ここに本格的な城郭を築いたのは、戦国末期に摂河泉を制圧した三好長慶である。長慶は知勇兼備の名将といわれ、絶頂期の長慶は、ここ飯盛城を本拠とし、その勢力は山城、摂津、河内、大和、和泉、丹波、阿波、淡路、讃岐の9ヵ国に及んだが、晩年は家臣の松永久秀に実権を奪われ、1564年(永禄7年)42才で飯盛山城において病死した。
 その後、この城は松永久秀を攻めた信長軍に滅ぼされた。現在の飯盛山からは、歴史の表舞台で脚光を浴びていた時代があったとは想像も出来ない。正に「つわものどもが夢の跡」である。尚、三好長慶の墓は八尾市・真観寺にある。

標  高:341.3M
登頂日:2003年12月3日
25000分の1地形図名:[生駒山]
経緯:北緯34度43分34秒、東経135度39分14秒
飯盛山から望む
飯盛山山頂から大阪平野を望む。町並みが眼下に迫り、電車の通る音が聞こえる。
四条畷市内より見た飯盛山 四条畷市内(国道163号線)から「飯盛山」を望む。この方向(山の北側)から見れば、山は生駒山系から独立して見える。


飯盛山への登山口

 四条畷神社の裏側の登山口
 登山道は整備されており、こ
 のルートの大半は階段になっ
 ている
山頂にある「楠木正行像」。
楠正行は楠正成の長男で、成人して南朝の後村上天王に仕え、1348年(正平2年)この山の麓の四条畷で北朝方の高師直軍と戦い、敗れた。四条畷神社には正行とその部下が祀られている。
この像は1937年(昭和12年)に建立されたが、太平洋戦争のさ中の1943年(昭和18年)台座を残し、上の銅像の部分を供出。戦後1972年(昭和47年)に再建された。(小楠公の銅像の傍らに再建に尽力した田伐兼松氏の銅像がある)。
飯盛山山頂に建つ「楠木正行像」
飯盛山山頂近くに建つ「飯盛山史碑」 山頂近く(飯盛城二の丸付近)に建つ「飯盛山史碑」。1923年(大正12年)四条畷中学校校友会によって建てられた。

山歩き-007/TTL-120

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