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所在地:寝屋川市寝屋南2丁目
最寄駅:JR学研都市線「星田」下車、京阪バス「寝屋川市駅」方面行で「寝屋神社」下車、すぐ |
当社は寝屋地区の鎮守であるが、集落からは少し離れ、交野市傍示に源を発するタチ川を渡った左岸の小高い丘の上に鎮座している。(寝屋の集落はタチ川の右岸の河岸段丘上にある)
その創祀については境内に建てられてあった「案内碑」や、「寝屋川市史」にも掲載されておらず、不詳である。
江戸時代には「八幡宮」と呼ばれており、現在の社名は明治初年の変更である。祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇)、気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと:神功皇后)、比咩大神(ひめのおおかみ)の八幡3神を祀る。神宮寺として月泉寺が在ったが、明治初年に廃寺となっている。
寝屋川市内に「八幡宮」は寝屋神社以外に、秦の八幡神社、国守神社などがあるが、このように近隣に八幡宮が多く見られるのは、近くの石清水八幡宮の存在が最も大きな理由と思われるが、境内摂社に水や雨をつかさどる神が祀られており、水と人々の関わりを現在に伝えている。これらの神の祠の前の灯篭が建てられた年代が当社の中で1番古く、もとはこれらの神が主祭神だったのかも知れない。
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[参考資料] 『現地案内碑』&『寝屋川市史』 寝屋川市 |
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寝屋神社参道入り口の注蓮柱。
人里を少し離れている所為か自然が残され、境内にはカナメモチの林やアラカシ、コナラ等の木々が茂り、鎮守の森の佇まいを今に伝える。
しかし、丘のすぐ横では第二京阪道路が工事中で、この自然がいつまで保たれるのか、懸念される。 |
寝屋神社拝殿前の鳥居。
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寝屋神社拝殿。
拝殿前の灯篭には4基とも「八幡宮」と刻まれている。
手前の左右の2基は1764年(明和2年)に奉納されたもので、小さな文字は風化して読みづらいが『寝屋川市史』によれば、この灯篭には「奉納 田地字タナ
1カ所」とあり、永代常夜灯の維持費として田地が寄進されたものではないかとしている。
奥の拝殿前の灯篭のうち、右側は天和2年(1682年)、左側は正徳3年(1713年)の紀年銘がある。 |
下からの階段を登ったところにある2基の大きな灯篭。
1858年(安政5年)の奉納で、高さ約3.5mはある。 |
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神社の森を入ったところにある境内摂社の「水分神」と「高オカミ神」。手前の灯篭はこの神社で最も古い明暦2年(1656年)の紀年銘がある。
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神社入口に建てられている「鉢がづき姫」をモチーフにしたマスコット「はちかづきちゃん」の「案内碑」。
寝屋川市内の寺社仏閣、史跡などでは「はちかづきちゃん」のいろいろなポーズの案内碑が見られる。 |
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[2008年4月25日参拝] |
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