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神社めぐり 大杜御祖神社
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大杜御祖神社 所在地:寝屋川市高宮
最寄駅:京阪本線「寝屋川市」駅下車、京阪バスで「太秦住宅」行で
「高宮」下車、河内街道(旧170号線)を南へ、高宮神社の2つ目の辻東へ、約300m(バス停からは約600m)
大杜御祖(おおもりみおや)神社は『延喜式』神名帳に載る古社であり、地元では「奥の宮」といる呼ばれている。大杜御祖神社の呼び名も『延喜式』神名帳の古写本である金剛寺本には「高宮太神祖神社」、九条家本には「高宮太社祖神社」とあり、一定していない。近世に入ってからは『河内志』や『河内名所図会』などには「高宮大杜祖神社」と記されるようになった。
 『河内名所図会』には祭神の天萬魂命(あめのよろずのたまのみこと)は「土地の産土神」として紹介されており、江戸時代には五穀豊穣を願い「牛頭天王」も併せ祀られていた。
 現在、大杜御祖神社が建っている場所は、飛鳥時代の終わり(白鳳時代)に建てられたと見られる「高宮廃寺跡」で、この高宮廃寺を継承した真言宗玉松寺が大杜御祖神社と高宮神社の神宮寺として明治初年まで存在したが、廃仏毀釈のあおりで廃寺となっている。この寺号が廃寺の寺号であったとも言われている。

[参考資料] 『現地案内板』 文化庁、大阪府&寝屋川市教育委員会
         『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 
大社御祖神社参道大鳥居 大杜御祖神社へ向かう道沿いにある大鳥居。
 大社御祖神社拝殿 大社御祖神社全景
大杜御祖神社拝殿の正面とその側面。祭神の天萬魂命はここより約300m北西にある高宮神社の祭神天剛風命(あめのこかぜのみこと)の父親。現在この社殿がある場所は飛鳥時代末(白鳳時代)から平安時代にかけて栄えた高宮寺の西塔が在った場所であると推定されている。
高宮廃寺礎石-1 高宮廃寺礎石-2
大杜御祖神社の境内一帯は飛鳥時代の終わり(白鳳時代)に建てられたと見られる「高宮廃寺跡」で、1980年(昭和55年)国の史跡に指定されている。
寺院は東西に塔がある薬師寺に似た伽藍方式であったといわれ、現在、境内社殿の南東にある礎石は東塔の心礎とされ、金堂があったとされる北側にも礎石の一部が残る。高宮寺は平安時代に廃絶、鎌倉時代に再建されたが室町時代には再び廃絶したと伝える。
高宮廃寺瓦出土地 元大社御祖神社本殿跡
大杜御祖神社への参道の脇に、高宮廃寺から出土した軒丸瓦をモチーフにした石碑が建てられてあった。  現在の大杜御祖神社から約100mほど西北のところ
 に「元大杜御祖神社跡」があった。
「元大社御祖神社表参道跡」石碑 「元大社御祖神社跡」石碑
大杜御祖神社への参道脇に建てられている「元大杜御祖神社 表参道跡」(左側の写真)と「旧宮居 元大杜御祖神社跡」(右側の写真)の石碑。「旧宮居」の石碑は上の写真の「元大杜御祖神社跡」を示している。

[2008年5月12日参拝]

神社-113/TTL-644

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