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所在地:京都市下京区西洞院仏光寺新町西入菅大臣町
最寄駅:地下鉄烏丸線「四条」下車南へ、五条警察署手前
西へ入る、約300M |
菅大臣神社は菅原道真を祭神とする神社で、この地は菅原道真の旧宅跡で、道真以前から菅原家の邸宅地であった。道真が幼少のころ研学したところといい、それに因んで社殿を造営したのが起こりである。古くは天神御所または白梅殿とも云われた。
度々兵火にかゝり、鎌倉期には南北両社に分かれ、当社を天神御所、 白梅殿社、北社を紅梅殿社と呼んでいた。応仁の乱後1614年(慶長19年)に、
管家ゆかりの曼殊院宮良恕法親王により再興され、明治維新まで曼珠院が管轄していたが、1873年(明治6年)独立した。
この間、天明の大火、元治の兵乱で再度焼失するが、現本殿は、 明治の初めに下鴨神社の旧殿を、移築し、その後幣殿を建立して、現在に至っている。
境内には火御子社、白太夫社、老松社、福部社、春崎稲荷社、三玉稲荷社など多くの摂末社がある。
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[参考資料] 『菅大臣天神社 現地解説板』 京都市&菅大臣天満宮
『京都史跡事典』石田孝喜著 新人物往来社 |
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洞院通りに面した鳥居。ビルとビルの間に挟まれるように鳥居が建ち、参道がある。正面突き当たりに本殿が見える。 |
現地の解説板によると、「現在の本殿は、 1835年(天保6年)造立の三間社流造という下鴨神社の旧殿を、
1869年 (明治2年)に移築し、その後幣殿を建立して、いわゆる八棟造)をなしている。」とのことである。 |
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境内にある道真の産湯に使ったとの伝説がある井戸。
井戸の傍らに『天満宮誕生水』の石碑が建っている
道真が太宰府に赴任する前に、
『こち吹かば匂ひをこせよ 梅の花
あるじなしとて春なわすれそ』との
歌を詠んだところ、道真を慕って、
一夜のうちに太宰府に片枝が飛ん
で行ったいったとされる「飛梅」
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「北菅大臣神社」の手前の通りには「菅家邸址紅梅殿」の石碑が建っている。この碑は1938年(昭和13年)に建てられている。 |
「菅大臣神社」とは仏光寺通をへだてて、その北にある「北菅大臣神社」。紅梅殿神社ともいい、道真の父是善を祀っている。左右の灯篭は1844年(天保15年)に寄進されたもの |