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所在地:京都市南区吉祥院政所町
最寄駅:JR東海道線「西大路」下車、駅西側を流れている西高瀬川の川沿いに南へ、約15分
(西大路駅前からのバス便は適当なものはなかった。) |
当宮は934年(承平4年)朱雀天皇の勅命により、菅原道真生誕の地に創建された最初の天満宮とのことである。 道真の曽祖父古人は平安京に遷都の時、桓武天皇よりここ白井の庄(現吉祥院)を領地として賜り、845年(承和12年)道真がここで誕生し、18歳で文章生に合格するまで住んだ、菅原家ゆかりの地と伝わる。
1109年(天仁2年)菅公200年忌には鳥羽天皇の勅祭が盛大に行われ、以後毎年2月25日には法華八講料を賜った。。その後、歴代の天皇も年々盛大に勅祭を行われるようになった。
ところが、1590年(天正18年)豊臣秀吉により、神領・八講料などを悉く没収され、勅祭も廃止の憂き身を見、江戸時代を通じても規模縮小を余儀なくされたが、1902年(明治35年)の菅公千年祭以来、順次復興、境内神域の拡張整備がなされ、現在に至っている。
道真の生誕地として伝わっている所がこの神社以外にも各地に存在するが、他のところに比べても、この天満宮は、生誕にまつわる道具立てが多くあるように見受けられるが、真偽の程は他の寺社と同様、これが決定打というものは無いようだ。
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[参考資料] 『吉祥院 天満宮略記』 吉祥院天満宮パンフレット |
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吉祥院天満宮の正面の鳥居。
奥の右手に見えるのは吉祥天女社。 |
吉祥院天満宮拝殿。
この拝殿は2002年(平成14年)菅公1100年祭に改築した。菅原道真を祭神として祀る。 |
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吉祥天女社。
道真の祖父清公が遣唐使として、唐に向かう途中、海上で、暴風雨に遭い、船が転覆しそうになったが、同船していた最澄と共に、吉祥天女に平安を祈ったところ、
天女が空中に現れ、たちまちに風雨が静まり、無事施設の任を果たした。
清公は帰国後、自ら天女の像を刻み、808年(大同3年)この地に一堂を建て安置。吉祥院と号して、国家鎮護の祈願所、菅家守護の本尊とした。天女のほかに菅原清公、是善、伝教大師、孔子が祀られている。
現在の堂宇は江戸中期の頃の再建になる。 |
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天満宮東南角に建つ「菅公御誕生之地」の石碑。
この石碑の建っているところは道真の産湯に用いられた井戸があったと伝わる。 |
境内にある「菅公胞衣塚」。
道真のへその緒を埋めたところと伝わる。 |
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本殿の横にある「硯之水」。
道真が幼少の頃、手習いのために用いた井戸が、神社の近くに跡地として残っており、この井戸はその復元井戸として、1986年(昭和61年)新たに掘られた。 |
「鑑の井」。
道真が役所に出勤の折、この井戸に姿を映し、身なりを整えたという。傍らの石碑は江戸時代の書家松下烏石の書によるもの。1754年(宝暦4年)の建立。 |
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吉祥天女社の横に建つ「文章院聖堂御跡」の石碑。
道真の祖父清公が建てた学問所の跡地と伝わる。 |
神社から少し離れたところにある「北政所墓所」。
道真夫人田口宣来子の墓と伝わる。 |
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[2006年4月23日参拝] |
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