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所在地:奈良市雑司町手向山
最寄駅:近鉄奈良駅から東へ、徒歩約30分。東大寺大仏殿の前の道を東へ。法華堂の南側 |
手向山(たむけやま)八幡宮は東大寺八幡宮ともいい、奈良時代聖武天皇が大仏の造営をされた時、これに協力のため749年(天平勝宝元年)に宇佐八幡神を東大寺大仏守護神として勧請することになった。 宇佐八幡神が豊前豊後以外の土地に勧請された最初の八幡宮といわれる。
天平勝宝2年2月には一品八幡神を迎え神仏習合の形となり、以来、東大寺の鎮守社とされ、深く崇敬されてきたが、明治初年の神仏分離令で独立し、現在に至っている。
元は大仏殿の近く鏡池(八幡池)の東側に鎮座したのに始まるが、1180年(治承4年)平重衡の南都焼討ちで焼失、鎌倉時代の1250年(建長2年)に北条時頼によって現在地に遷座した。
この手向山八幡宮に菅原道真が腰を掛けたという石が伝わる。898年(昌泰元年)10月、宇多上皇の吉野宮滝御幸に随行した道真が一行の奈良に立ち寄った時に詠んだという、その時の歌「このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」は「古今集」、「小倉百人一首」に採られている。
歌に詠まれている手向山とは大和と山城の国境の平城山(ならやま)の峠を指すと言われているが、ここ手向山八幡宮で詠まれたという伝もある。 |
[参考資料] 『現地案内板 手向山八幡宮』 |
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東大寺大仏殿の前の道を行くと一の鳥居が建つ。 |
東大寺法華堂(三月堂)に面して建つ鳥居。 |
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手向山八幡宮楼門。
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手向山八幡宮本殿。祭神は、応神天皇、姫大神、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇を祀る。 |
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摂社住吉社本殿。鎌倉時代の建立で国の重要文化財。
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手向山八幡宮宝庫。奈良時代の校倉造で国の重要文化財。 |
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摂社若宮の拝殿横に建つ菅原道真の歌碑。碑の前にある石は「道真の腰かけ石」と伝わり、学問成就の石として信仰を集めている。
この場所は何度も通りながら、「道真の有名な歌を刻んだ歌碑が建っているなー」との認識しか無かったが、この歌碑には歌とともに「菅公腰かけ石」と刻まれているのを見落としていた。偶々東大寺を写した写真を整理していて、このことに気づき、改めて参拝し、ご朱印を頂いてきた。 |
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[2012年4月21日参拝] |
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