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所在地:大阪市天王寺区餌差町
最寄駅:JR環状線「玉造」下車、玉造筋を南へ、バス停「真田山」を西へ、明星学園西南角 |
当山の縁起は、行基菩薩の開創と伝わるも詳細は不明。その昔、嵯峨御所大覚寺末寺の時代もあったとのである。江戸時代末期、木食祐伝上人が中興の祖であり、祐伝上人と2代目の祐範上人が四国で10有余年の年月をかけ、「四国八十八ヶ所霊場」の仏体を刻し、山内に奉安した。
また、先代住職が1928年(昭和3年)晋山、荒廃した当山の復興に努められたが、今次大戦の空襲により、諸堂宇が全焼した。戦後は自院の再建に努めると共に、「摂津八十八ヶ所霊場」の復興にも尽力された。
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[参考資料] 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行 |
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鮮やかな朱塗りの山門と鐘楼。玉造筋から上町筋に抜ける通りに面しており、非常に目立っている |
境内は庭木に加え鉢植えの花が所狭しと置かれている。 |
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本堂の前や寺院の塀に沿って安置されている石仏。境内は「山内四国八十八ヶ所霊場」になっている。
表通りの石碑には「四国八十
八ヶ所霊場」とあり、当院中興
の木食祐伝上人が1858年
(安政5年)に建立したもの。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
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[2003年10月5日参拝] |
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