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所在地:大阪市天王寺区堀越町
最寄駅:天王寺駅下車、北側出口玉造筋を東へ、社会保険事務所の手前を北へ約300M、左側にあり |
当山は四天王寺の南にあり、同寺の管下にある。
その縁起は、今から1300余年前(飛鳥時代)、我が国に色々の疫病がはやり、四天王寺の民部の郷僧都毫範(ごうはん)が、霊験を得て祈願をしたとき、庚申堂の本尊となった青面金剛童子(しょうめんこんごうどうじ)が、16歳くらいの童子となり現れ、毫範に除災無病の力を与え、それによって病は去っていったという言い伝えがあり、時は701年(大宝元年)正月7日、庚申の日とされる。
以来、毫範の感得した青面金剛童子をこの地で祀られたのを開基とする。我が国の庚申の始まりであり、以来庚申を祀ろうとするものは、皆当寺に来て、免許を得、尊天の分身を勧請するのを例としている。
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[参考資料] 『天王寺庚申まいり』 庚申堂パンフレット |
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南に面した朱塗りの山門は境内の緑に映え、非常に鮮やかである。
お寺の東側の道は[庚申街道]と呼ばれ、四天王寺南門を起点に、阿倍野区、住吉区、堺へと続いているが、かってはメインストリートとして栄え、「庚申の日」には露天が並び、盛況を極めたそうである。
現在では新しい道「谷町筋、阿倍野筋」や「あびこ筋」が拡張整備されたため、人通りも少なくなり、昔日の面影はない。 |
今では庚申の日以外は訪れる人も少なく、境内は落ち着いた雰囲気である。
本堂は1618年(元和4年)建立されたお堂であったが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失、現在の建物は1970年(昭和45年)大阪万博に造られた法輪堂を移築したものとのこと。 |
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境内の一角にある聖観音菩薩像[1960年(昭和35年)の建立]とその後ろは庚申さんの奉納塚。
奉納塚は古い年代のもの多くは風化がすすんでおり、年代が読み取れないものあるが1673年(寛文13年)、1684年(天和4年)、1692年(元禄5年)、などがある。 |
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[2003年11月8日参拝] |
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