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伝法山西念寺 所在地:大阪市此花区伝法5丁目
最寄駅:阪神なんば線「伝法」下車、駅前の通りを東へ、国道43号線を渡り、約200m
伝法山西念寺は645年(大化元年)、天竺南山道宥律師の教伝により、法道仙人が仏法伝導道場を建立されたのがはじまりという。平安時代、806年(大同元年)空海が中興。真言密教の根本道場を建立し、鎌倉時代末期までは真言宗として栄えた。
 901年(昌泰4年)菅原道真が大宰府に左遷途中、出航までの数日を塔頭に逗留し、本坊にも度々参詣したという伝承がある。
 1328年(嘉暦3年)譽現和尚が中興、浄土宗念仏門流となる。室町以降は浄土門となり、真言・念仏・禅・律の四宗の寺となった。1560年(永禄3年)玄賀大和尚の時、京都知恩院、黒谷(金戒光明寺)両本山の門流となる。
 中世には摂津伝法の船寺として信仰を集め、広大な寺領をもち、摂・河・泉三国の四大本山のひとつとして大いに栄えたが、明治初年の廃仏毀釈令のあおりをまともに受け、七堂伽藍は消失、寺領没収、その後の淀川の河川改修工事に伴う寺領返還なども加わり、往時の姿は完全に失われてしまった。
 近年は信徒の支援と協力のもと、着実に復興に向かっており、毎年8月23日には日本三大船まつりのひとつといわれる「流潅頂(ながれかんじょう)」、11月14日には、「お十夜とのっぺ焚き」の伝統行事が行なわれる。
  
淀川の河口、此花区伝法の地名のついては諸説あるが、いずれも仏教に関係した由来であることは興味深い。
①552年(欽明天皇13年)、百済より献上された仏教の経巻がこの地に着岸し、日本に初めてその法を伝えた。
②鳥羽上皇が高野山に建立した伝法院の用材を当地で船積みをしたところから名が起こった。
③この地に伝法寺という寺院があったが、廃寺となり、地名が残った。
④仏教を広めるため来日した法道仙人が、伝法山西念寺を建てた。             『大阪の地名由来辞典』より

[参考資料] 『本山元摩耶 伝法山西念寺』 西念寺パンフレット
西念寺山門。山門の傍らに「伝法小学校(旧西念寺本堂)開校之地」の石標が建つ。
西念寺本堂。本尊は阿弥陀如来坐像。他に伝法千手観音像(平安時代の本尊)、元摩耶観音(秘仏)、法道仙人像(秘仏)を祀る。
本堂の前には法然上人が15歳の時現在の岡山の誕生寺から京都に向け、旅立ったという「旅立ち姿像」が建てられている。
明治の初めの学制発布に伴い、1873年(明治6年)の旧本堂を仮校舎として、第三中学区第五小区第二小学校(後の伝法尋常小学校)が開校され、1877年(明治10年)西念寺が火災に遭ったため、他に移転した。
境内にはとげぬき地蔵尊(別名万福さん・水かけさん・なで仏)が安置されている。
隣には「伝法天神」の石碑が建つ。
十三仏石仏。十三仏は真言宗とかかわりが深い。
古い墓石と思われるが、近くには行けず、建立年月は確認できなかった。

寺院-264/TTL-763

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