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霊場参拝
和泉三十三ヶ所 和泉三十三ヶ所
第33番
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義民・小平次の碑へ
西方山極楽密寺 所在地:泉南市馬場1丁目
最寄駅:JR阪和線「和泉砂川」下車。さわやかバスで「文化ホール前」下車、西南へ徒歩約10分。駅からは徒歩約20分
当山は730年(天平12年)行基菩薩が畿内49院建立のおり、当地に一草庵を建立し、薬師如来を本尊として安置したのを開基と伝わる。
その後、観音信仰がこの地に根付き、1185年(文治元年)には俊乗房重源が留錫し、伽藍・坊舎を有する寺院に発展させたという。
 隆盛を極めた当山も、1585年(天正13年)豊臣秀吉の紀州攻めの際に兵火により伽藍・坊舎は全て焼失したが、薬師如来が灰の中に残っていたので小堂に安置し、再興された。
江戸時代の1755年(宝暦5年)には紀州徳川家の祈願処となり、再び繁栄を見、現在に至っている。
 当地には江戸時代の話として、大飢饉の時、米倉を破り村民を救い処刑された義民森田小平次の話が伝わるが、その小平次の碑と、そのモデルとなった久介の墓が現存する。

[参考資料] 『泉州 和泉西国三十三所めぐり 観音さま』 和泉西国会発行
極楽密寺参道 極楽寺には山門は無く、下の道から階段を上り詰めると境内の広場に出る。
薬師堂。
1985年(昭和60年)の再建。
薬師観音、如意輪観音、不動明王を安置している。
極楽密寺薬師堂
極楽密寺観音堂観音堂。
1987年(昭和62年)の再建。
十一面観音、聖観音(秘仏)を安置する。
地蔵堂。
建屋の雰囲気から上記の薬師堂や観音堂と同じ時期の再建と思われる。
極楽密寺地蔵堂
ご朱印
和泉三十三ヶ所観音霊場
極楽密寺朱印
[2007年5月18日参拝]

寺院-206/TTL-555

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