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所在地:交野市星田3丁目
最寄駅:JR学研都市線「星田」下車、東へ徒歩約700M |
当山の創建時代は明らかでないが、慈光寺18世麟空が1806年(文化3年)に記した開山旦玉位牌裏面の刻記には当山は元は天台宗であったが慶長年間(1596〜1615年)の兵乱で無住となったのを旦玉が大念仏の道場として復興したとあり、旦玉を開山としている。
その後、藁葺で傷みがひどくなった本堂以下の諸堂を宝暦年間(1751〜64年)15世輪空が浄財を募り瓦葺に整備し、大いに寺観を改めた。当山では輪空を中興開山としている。
1803年(享和3年)の『星田村明細書』には佐太(現守口市)の来迎寺末とあり、現宗旨である西山浄土宗への改宗時期は不明であるが、1846年(弘化3年)入寺の哲空は1871年(明治4年)本山粟生光明寺61世管長、1873年(明治6年)には全国浄土宗総管長となり、京都知恩院に入っている。
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[参考資料] 『交野市史』 交野市編
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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慈光寺山門。 |
慈光寺本堂。 現在の本堂は1894年(明治27年)に焼失したため、1903年(明治36年)に再建された。 |
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山門を入った脇にある「一字一石三部経」の経塚。
この石碑は1846年(弘化3年)哲空が建立。
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本堂前にある「蓮弁形十三仏」。
慶長12年(1607年)の銘があり、開山住職旦玉の頃のものと思われる。 |
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本堂脇には古い石塔や石像が集められている。
左の写真の石像は室町時代初期の「来迎印阿弥陀仏像」で、下水道工事の際に地中から出てきた。掘り出された町名から「鍋賀地蔵」と呼ばれる。
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河内三十三所観音霊場 |
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[2008年3月8日参拝] |
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