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河内西国33所観音霊場河内西国三十三所観音霊場
この霊場はその名も「河内西国33所観音霊場」とあるが、旧河内国全地域をカバーはしておらず、北河内と呼ばれる現在の枚方市、交野市を中心に寝屋川市、四條畷市の4市に点在している観音霊場である。
  その成立時期は明確ではないが、江戸時代の中頃には成立してものと思われる。しかし、時代により、出典によっても内容が異なり、江戸後期の1855年(弘化2年)写本の『河内西国三拾三所詠歌』には現在の東大阪市と大東市の寺院も含まれており、現在の札所とは大きく異なっている。
  特に明治初年頃に廃寺になった寺院が含まれているところから、その後のエリアと寺院が大きく変わったものと思われる。
現在の札所は、1887年(明治20年)の大坂高麗橋在住の津田元治郎という人が発起人となり刊行された『河内西国三拾三所観世音順礼詠歌』に記載されている寺院と同じであり、現在の霊場はこの頃に成立したと思われる。
寝屋川市史『9巻』 「寝屋および周辺の観音信仰」を参考にしました。

 今回の霊場めぐりで、最後から2番目に訪れた「第13番札所称念寺」の由緒を調べるため『長尾史(片山長三著)』を見ていると「明暦年中(1655〜58年)京都の風見大納言が、河内の南から北に掛けて33ヶ所の霊場をを選び、西国33ヶ所になぞらえて、33首の和を歌に詠んだとのことで、これを「河内西国33ヶ所」の始まりである」との記載があった。寺院名や歌の内容の記載はされていなかったが、これが事実なら、「河内西国33所観音霊場」の成立時期は江戸時代の初めまで遡ることになる。
・2008年2月25日から回り始めて2009年3月10日に終えました。
・寺院名をクリックして下さい。参拝した寺院はメモがあります。 ご朱印一覧表へ

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