大阪再発見の表紙に戻る
霊場参拝
河内西国33所観音霊場 河内三十三所観音霊場
第3番
ロゴをクリックすれば
一覧表に戻ります



ちょっと寄り道
旧万年寺跡へ
松風山 浄念寺 所在地:枚方市三矢町
最寄駅:京阪本線「枚方公園」下車、駅西側に出る。
駅前の広い通りを北へ、旧京街道に出て約100M。
当山の開基は、寺伝によれば本願寺8世蓮如上人の河内地方巡化に同行した岩見入道浄念が1495年(明応4年)に開創、もとは現在地の北東の淀川筋に在ったという。
 戦国時代の1535年(天文4年)より「本願寺兼帯所」となり、特別な扱いを受け、江戸時代に入り、本願寺が東西に分裂した後は西本願寺に属し、江戸時代中期の1739年(元文4年)に、本願寺15世住如上人が淨念寺の住持を兼務することとなり、「門跡御坊」となった。
 現在地より京阪電車の線路を挟んで南側にある東本願寺派の願生坊(蓮如上人の27子の実従が開基した旧順興寺)が「東御坊」と呼ばれたのに対し、当寺は「西御坊」と呼ばれた。現在地への移建は1763年(宝暦13年)の火災による。
 当寺には1880年(明治13年)から1888年(明治21年)まで、堺県茨田、交野、讃良3郡連合の枚方郡役所(後に茨田交野讃良郡役所と改称)が置かれた。

[参考資料]  『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
浄念寺山門 浄念寺山門。
浄念寺の前の道は旧京街道で、ここの辺り一体は宿場町であった。
大坂夏の陣以後、徳川幕府は東海道を延長し、京より大坂までの間に伏見、淀、枚方、守口の4つの宿場が追加され、東海道53次が57次となり、枚方は56番目の宿場町だったという。
浄念寺の前で道は大きくカーブするが、ここは枡形の道と呼ばれ、この近くにあった本陣防衛のためといわれる。

浄念寺本堂。本尊は阿弥陀仏。安阿弥の作で室町期のものと伝える。
この本堂は記録によれば1795年(寛政7年)に建てられている。
1885年(明治18年)淀川の堤防が決壊し、大きな被害が出たが、それまではお寺の石垣が淀川に面して積まれており、堤防の役割もしていたが、現在では、お寺と淀川の間には大きな堤防(府道13号線)が築かれている。
浄念寺本堂
浄念寺観音堂 観音堂。(というよりも保管庫の意味合が強いようだ)
浄土真宗のお寺に観音堂があるのは、この近くにあった万年寺が明治に初めに廃寺になったとき、本尊の観音像などを引き取ったため。
観音堂内部 不動明王
観音堂の内部。元万年寺あった仏像などが安置されている。
上の写真で不動明王の奥に観音像が並んでいる。柱は鐘楼を移築。梵鐘は先の大戦で供出したとの事であった。
この梵鐘は1686年(貞享3年)田中家の鋳造によるもので、江戸時代より夕暮れを告げる鐘の音は『万年寺の晩鐘』として有名で、枚方八景の1つでもあった。 浄蓮寺の住職で狂歌の名人、瓢箪坊栗毬は、『耳にこんと いりあいになる 万年のかね いそかし 夕めしこしらえ』と詠んでいる。
鐘楼の中央の不動明王像は鎌倉時代前期の作とされ、光背の火焔光以外は補修された跡も見られず、枚方市の指定文化財となっている。同じ時代の観音像などには補修された跡があり、残念ながら指定されていない。
ご朱印
河内三十三所観音霊場
浄念寺朱印
[2008年8月2日参拝]

寺院-236/TTL-646

1つ前に戻る このページの上に戻る 表紙に戻る

Copyrightc2015.Yoshi Planning.All rights reserved. 写真及び文章の無断使用は禁止します。