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所在地:枚方市禁野本町1丁目
最寄駅:京阪電車「枚方市」駅下車、南口を北へ、交野線を渡り、府道144号線の信号を右へ約150M |
当山は1611年(慶長16年)円蓮社頓誉上人が伏見の大光寺より来て開創した。
宝暦、安永の頃に有名な狂歌の名人瓢箪坊栗毬(ひょうたんぼうりっきゅう)が住職になっている。
1939年(昭和14年)枚方禁野の火薬庫が爆発し、そのあおりで地蔵堂を残して本堂、庫裡が一瞬にして吹っ飛び、お寺に係る文書などは一切残っていないとのことであり、境内墓地の一角にある瓢箪坊の墓石などが僅かに歴史を語るのみである。
1943年(昭和18年)本堂が再建され、現在に至っている。 |
瓢箪坊栗毬:名は明蓮社光誉。仏道に精通し、和漢の学に秀で、和歌にも善かった,特に強化は浪華の栗阿亭に師事し、名人の域に達した。韃翁と称し、瓢箪坊、栗毬奉仕、茶々丸、楊果亭栗毬、ほうろく庵などの雅号を名乗った。生涯に5千余首の狂歌を残している。1778年(安永7年)65歳で示寂。遺作集に『藻塩草』、『拾遺藻塩草』がある。辞世の句は『 南無阿弥陀 今うき世のつるきれて 身のなるはては ころりへうたむ』
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[参考資料] 『枚方市史(昭和26年版)』 |
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淨蓮寺は天野川を見下ろす木々に囲まれた高台にある。 |
1943年(昭和18年)の再建された本堂。
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境内にある地蔵堂。禁野火薬庫の爆発を免れた。 |
地蔵堂の横にお地蔵さんなどの石像が沢山集められている。かっては村内の道端等に立っていたものが集められたと思われる。 |
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門を入って直ぐ左手、樹木の奥に建てられている、瓢箪坊栗毬の墓。
瓢箪の形をした台石の上に竿石が建てられている。 |
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竿石に「清譽」、下の台石に「栗毬翁歌書墳」とあり、清譽という人が瓢箪坊のために建てた供養墓と思われる。 |
瓢箪坊が建てたと伝わる宝篋印塔。「韃翁造立」と彫られている。裏面に「維持 安永7龍集次戊戍正月11日(1778年)」と建てられた年号が彫られている。 |
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河内三十三所観音霊場 |
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[2008年8月2日参拝] |
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