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所在地:枚方市枚方上之町
最寄駅:京阪本線「枚方市」駅下車、京阪電車の線路に沿って、
南へ約500M |
意賀美(おかみ)神社は通称万年寺山にある。初め、須賀神社と称し、現在地の近く三矢にあったが、1909年(明治42年)岡の日吉神社、伊加賀の意賀美神社を合祀して現社名に改め、現在地に遷座している。
当社(須賀神社)の起源は不明だが、872年(貞観14年)疫病が流行したとき、清和天皇が万年寺を建立した僧聖宝に命じて、牛頭天王を勧請、疫病消滅を祈らせたのが始まりで、「牛頭天王」、または「祇園社」とも称した。
伊加賀から合祀された意賀美神社は「延喜式」神名帳に茨田郡の小社として載る同名社に比定される。
『枚方市史』によれば、「開化天皇の頃、当地の豪族伊香我色雄命が淀川の水害排除と舟の航行安全を祈願して、その邸内に創建したのがはじまり」とあり、社名の意賀美は『古事記』に見える「淤迦美の神」に通じ、水をつかさどる竜神
(龗オカミ)を意味していると考えられ、淀川の水の竜神を祀ったのが最初と考えられる。
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[参考資料] 『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
『枚方市史(昭和26年判)』 枚方市 |
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 |
万年寺山周道にある鳥居。 |
京阪電車の線路沿いから登る参道。 |
 |
意賀美神社拝殿。
祭神は素盞嗚尊(旧須賀神社)、 大山咋神 (旧日吉神社)、高オカミ神(旧意賀美神社)、大国主神の4神 |
拝殿の横に建つ神楽殿。
旧万年寺の堂宇(本堂?)かと思われるが、建物の経歴の表示は無く、新たに建てられたものかも知れない。 |
 |
 |
 |
境内末社の琴平社。 |
境内末社の稲荷社。 |
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意賀美神社から少し下ったところにある万年寺山梅園。ここは万年寺という真言宗の寺院が明治初年まであった場所である。現在では13重石塔とその手前の階段のみがその名残をとどめている。(右の写真)
この万念寺山には、往古推古天皇の時来朝した高麗の僧恵灌がこの地の風光を愛でて草庵を営み、十一面観音を安置したという。
万年寺の創起は、872年(貞観2年)山城国醍醐寺の聖宝上人がその荒廃を嘆き、大伽藍を建立したのに始まり、寺院は「長松山 万年寺」と呼ばれた。
寺号は天平勝宝の頃(749~57年)当地で銅銭「万年通宝」が鋳造されたことに由来するという。 |
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[2008年8月2日参拝] |
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