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所在地:枚方市枚方上之町
最寄駅:京阪本線「枚方市」駅下車、意加美神社から北へ約150m |
田中家は代々鋳物師(いもじ)として繁栄し、家伝によるとその起源は元明天皇の和銅年間(708〜15年)より鋳物職を生業とし、淳仁天皇の天平宝字年間(757〜62年)に「万年通宝」、「太平元宝」の鋳造を命ぜられたという。
田中家が枚方での営業が確実とされるのは安土桃山時代以降で、江戸時代には金屋と称し、公家(禁裏蔵人所小舎人)真継家が統括する株仲間に属した。
真継家の株仲間支配権は天文年間(1532〜55年)戦国大名の間を奔走した真継久直の活動を背景に、徳川幕府が公認したものであった。
田中家は北河内では唯一営業を許可され、「河内国惣官鋳物師」という地位を得て繁栄した。
生産される鋳物は、鍋、釜などの日用品や農具、時には寺院の梵鐘も製作した。同家製の梵鐘の多くは第2次世界大戦時の強制供出により消失したが、約30点の梵鐘が今に残っているといわれている。枚方市内では廃渚院観音寺の鐘が有名である。
明治以降、近代的工業製品が安価に出回るようになると、伝統的な鋳造手段は衰退し、田中家の鋳造業は昭和30年代に廃業となった。
鋳物工場は江戸中期の建築とされ、母屋と共に藤坂天神町の「田中家鋳物民俗資料館」に移築し一般公開されている。
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[参考資料] 『現地案内板』 枚方市教育委員会
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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かって鋳物工が有ったところは駐車場になっている。
正面の奥に見える大きな木は田中家の椋の木。 |
旧田中家の椋の木。下の道から見上げたところ。
かって邸内あった椋の木は枚方金屋のシンボルであった。
樹齢は6〜700年、樹高21m、幹周り5.4mに達する。枝張りは東西16.4m、南北17.5mにも及び、巨樹として全形をとどめる樹木は大阪府下でも珍しく、1970年(昭和45年)大阪府の天然記念物に指定された。
椋の木の葉の表面がザラザラしており、鋳物製品を磨くのに用いられた。 |
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所在地:枚方市藤阪天神町
最寄駅:JR学研都市線「藤阪」下車、北東の方へ約500m |
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「枚方市立 田中家鋳物民俗資料館」に移築された鋳物工場。文化財。桁行12間、梁行5間半、片側寄棟造、片側切妻造で本瓦。周囲は半間おきに柱が立つ
約250年前の建築で、江戸中期の工程を伝えるものとして、大阪府指定文化財。 |
主屋は昔よく見られた典型的な農家である。
中には日常使われていた道具などが展示されている。
この主屋も大阪府の指定文化財である。
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工場の中は鋳物を作る工程が復元されている。
甑(こしき)炉(小型溶銑炉)に原材料を入れる人。 |
甑炉の裏側で踏鞴(たたら)を踏む人。 |