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所在地:交野市星田2丁目
最寄駅:JR学研都市線「星田」下車、東へ徒歩約800M |
当山沿革の詳細は不明であるが、いつの頃か大阿闍梨昌政なる人が当地に隠居して小庵を営んだのでこれを開山としている。
境内の墓地中に古い逆修塔残欠があり、それには「結縁逆修講八十二人 天文十八年(1549年)」の銘があるとのことで、既に天文当時この小庵には80余人の帰依者の集まりが有ったことを物語っている。
下って、当山に伝わる古帳には江戸時代中期の1715年(正徳5年)寂の1世住職文盛から昭和に至るまでの15代にわたる住職名が記されており、1世文盛の時代に寺院の形を整えられたと思われる。
当山には旧小松寺金堂の本尊であったと伝わる弥勒菩薩像や、薬師堂に祀られている薬師菩薩像などが遷されており、小松寺が廃寺になったのは1703年(元禄16年)であり、光明寺の再興と時期が重なり、小松寺の本尊などの受け皿となったようである。
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[参考資料] 『交野市史 神社と寺院』 交野市編 |
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光明寺山門。
山門は星田神社とは道を隔ててある。 |
光明寺本堂。本堂に祀られている弥勒菩薩は旧小松寺に安置されていたものを、小松寺が廃寺になったので、1703年(元禄16年)当寺に遷したと伝わる。 |
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| 光明寺鐘楼。 |
通りに面して建つ薬師堂。
中に祀られている薬師仏は元は星田山中の小松寺に有ったもので、当寺に遷したと伝わる。 |
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河内三十三所観音霊場 |
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[2008年3月8日参拝] |
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