|
所在地:交野市私市1丁目
最寄駅:京阪交野線「河内森」駅下車、駅前通りの2叉路を右手に入る。天田神社を過ぎ、右手3叉路の真ん中の道を約300M。
池の手前 |
松宝寺の創基は詳らかいでないが、かっては当山の後ろの山上にある獅子窟寺の12院あった塔頭のなかの1院であったといわれる。
大坂夏の陣の前に、全山その塔頭に至るまで悉く焼き払われたが、江戸時代になり当山だけが復興したと思われる。
下記資料『松宝寺』によれば、 門真市に伝わる『平橋家大工組文書』では、松宝寺が1735年(享保20年)に本堂等を普請しており、このときの住職が月秀で、この月秀と同一人物と思われる位牌には『文久元年(1861年)滅 当寺開基月秀上人』)とあり、この月秀上人の時代に現在の宗旨である融通念仏宗として再興されたのではないかと推測している。
|
[参考資料] 『交野市史 神社と寺院』 交野市編
『松宝寺』 交野教育委員会、交野文化財事業団編 |
|
|
松宝寺は小高い丘の上に立つ。山門(右の写真)は鉄筋コンクリート造りである。 |
本堂は2005年(平成17年)に建て替えられた。
旧本堂は江戸時代末期の1849年(嘉永2年)に建て替えられ、明治時代には修復されたということだが、傷みがひどく全面的に建て替えられた。
旧本堂の屋根瓦の中のには嘉永時代銘のあったものが有ったとのこと。
| |
|
山門をくぐったところにある地蔵堂。
地蔵堂は上記の『平橋家大工組文書』の中には1791年(寛政3年)に建て替えが行われたとの文書が残るが、現在の建物はこのときのものかどうかは分からないが、かなり古い建物である。 |
|
|
鐘楼は鉄筋コンクリート造りである。
吊り下げられている鐘は比較的新しいものであった。 |
境内に建つ十三重石塔。
この塔は現在は廃寺になっている旧千手寺のものを遷したと伝わる。
千手寺も獅子窟寺の塔頭の1つであった。 |
|
|
|
河内三十三所観音霊場 |
|
|
|
|
|
[2008年3月8日参拝] |
|
|