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所在地:交野市私市
最寄駅:京阪交野線「河内森」下車、天田神社の前を通り、徒歩で
東南約2Km |
獅子窟寺の開基は役小角と伝えられる。寺伝によると奈良時代45代聖武天皇(在位:724〜49年)の勅願により行基菩薩が堂塔を建てたといわれ、平安時代には弘法大師が獅子窟で修行したともいわれる。
鎌倉中期、亀山上皇は本尊の薬師如来仏に病気平癒を祈願し全快したので、荒廃していた堂宇を再建されたと伝わり、1305年(嘉元3年)上皇が崩御された時、その徳をしのんで供養宝塔が建てられた。
615年(慶長20年)大坂夏の陣の折、獅子窟衆徒は大坂方に加勢すべく命じられたが、これに従わなかったため、大野治長の命で兵火を放たれ、当時全山12院があったが悉く焼失した。
このとき本尊薬師仏は塔頭の吉祥院の法師に守られ、大和の長弓寺に避難し、無事であったという。
その後、光影律師によって中興、再建されたが往時の規模の10分の1にも及ばなかったとのことであるが、現在でも広大な寺域からかっての隆盛が偲ばれる。本堂は再建された当時のものである。
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[参考資料] 『獅子窟寺のしおり』 獅子窟寺パンフレット
『日本歴史地名体系』大阪府の地名編 平凡社 |
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獅子窟寺の隆盛が偲ばれる仁王門跡。
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仁王門跡建てられている石碑。
『聖武天皇勅願 行基菩薩開創役行者 弘法大師 修行之旧蹟』とある。 |
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獅子窟寺本堂(薬師堂)。
老朽化のため、建替えの計画が進行している。 |
行基菩薩が1刀3礼のもとに3年3ヶ月を費やして刻んだと伝わる(実は平安・弘仁期の作品)、国宝の本尊薬師如来像が納められている保存庫。拝観するには事前の予約が必要であった。 |
獅子窟寺境内には多くの巨岩が見られる。 |
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獅子窟の横に建つ梵字碑。
この碑は、現地の説明板によると『胎蔵界大日如来の真言で、5つの文字は宇宙の要素(地、水、火、風、空)を表わしている』とのことで、蓮華座の下には『永禄六年(1563年)』の年号と一結衆11名の名が刻まれてあり、逆修供養(死んで極楽に行けるように、生前仏事を修めること)のため建立された。
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王の墓。亀山天皇と同皇后の分骨陵と伝わり、この一角は宮内庁が管理しているとのこと。
また、一説では南朝3代の長慶天皇陵とも伝わる。
長慶天皇の即位は1368年(正平23年)住吉行宮で行われたとされるが、正式に98代天皇として皇統に加えられたのは1926年(大正15年)の詔勅による。その陵墓が京都嵯峨の慶寿院跡と定められたのは1944年(昭和19年)になってからで、その生涯は謎が多い。そのため「長慶天皇墓」と称する陵墓も全国各地に点在しており、
その数は20ヶ所にも及ぶとも言われている。
こちらの話の方がロマンを感じる。 |
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奈良・明日香村の亀石に似ているが、牛岩と呼ばれる。
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弘法の水。現地の説明版には「誰が言うともなしに、この谷(男石と女石)から出る水を弘法大師の水と言われてきた。」とあった。 |
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獅子窟寺境内から交野市街が一望の下に見える。 |
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2006年7月10日参拝 |
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