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史 跡
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住吉行宮址 所在地:大阪市住吉区墨江2丁目
最寄駅:阪堺電車「細井川」下車、住之江通りを東へ、約200M右手に入る、突き当り
南北朝時代、後村上天皇は1351年(正平6年)、北朝を奉じる足利義詮の降伏を申し出により、
翌年奈良・吉野からここに移り、住吉大社神主津守氏の邸内にあった正印殿を行宮にした。
 その後ここは南朝の勢力挽回の中心地となったが、そのうち義詮は勢力を盛り返して天皇の軍は破れ、再び吉野に戻った。
 後村上天皇はその後もたびたび当地に行幸したが、ついに京都奪還はならず、1368年(正平23年)
この地で崩御し、長慶天皇がこの行宮で即位した。後村上天皇が8年、長慶天皇が1年、合計約9年間行宮であった。この行宮跡は国の史跡に指定されている。
後村上天皇は第97代天皇、1328年(嘉暦3年)〜1368年(正平23年)。後醍醐天皇の皇子で名は義良(よしのり)。1333年(元弘3年)6歳で建武新政の成立があり、北畠顕家とともに奥羽に赴き東北鎮護にあたった。
足利尊氏の乱の際、尊氏討伐のため、1335年(建武2年)と1337年(建武4年)に上洛したが破れ、吉野に逃れた。

[参考資料] 『現地説明板』
住吉行宮跡-1 当史跡は中には入れず、柵の外から奥まったところにある「後村上天皇 住吉行宮正印殿址」の碑を垣間見るのみである。
現地の説明版によると、後村上天皇は1352年(正平7年)行幸の時は1ヶ月足らずの滞在だったが、1360年(正平15年)からは1368年(正平23年)に崩御するまで滞在している。また、明治天皇が1868年(明治元年)の住吉大社行幸のおり、ここ正院殿で小休止していたとのことである。
国の史跡指定は1939年(昭和14年)3月に受けている。
住吉行宮跡-2
住吉行宮跡-3 国指定の史跡である「行宮跡」の前が地域のゴミの集荷場所になっているのは大阪らしいと言えないこともないが、ちょっと嘆かわしい。

史跡-027/TTL-168

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