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所在地:大阪市住吉区上住吉2丁目
最寄駅:南海高野線「住吉東」下車、北側踏切りの筋を西へ、二つ目の辻を左側へ |
当山は、天野谷寺五ヶ坊の一坊で、住吉大社の社僧寺であり、神仏習合の名残を現在に留めている。創建は平安初期に遡るとのことだが、戦国時代天正年間(1573〜92年)の兵火により、資料等及び由緒古記宝物等は失われ、詳細は不明とのことである。その後江戸初期の1617年(元和3年)長尊僧正により再興されている。
明治以降、神仏混淆を禁止され、各坊の仏体を併合し、本寺院存置された。当山の行事として、昭和の初期までは西国三十三所の行者が各々5つの背駄仏を背負って、霊場を巡拝してしたということであり、江戸時代の関係資料が大阪府の「有形民族文化財」に指定されている(現在、これらの資料は大阪市立博物館に寄託されている)。また、1862年(文久2年)に当山の組織した住吉組の真道という行者の西国巡礼を記念して、四天王寺境内に大きな供養塔が建てられている(供養塔は大阪指定文化財)。
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[参考資料] 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行 |
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山門の脇には「摂州八十八箇所」と「方除祈願所」の石碑が建っている。 |
本堂は5年前に新しく建て直された。正面の扉は「金神堂」(下の写真)と同じく、菱型状の格子の細工が施されている
境内に旧本堂(350年前のも
の)の屋根に載っていた宝形が
保存されている。 |
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山門を入った正面にある「金神堂」(方違社)。
伝えるところによるば、この「金神堂」は神功皇后が住吉の地に、『三筒男大神』を遷座のおり、方位が悪いため、当方にて方除けの祈祷を行った場所と伝わっており、今も住吉の方除け祈願所として知られている。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
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[2004年3月13日参拝] |
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