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所在地:四条畷市中野本町6丁目
最寄駅:JR学研都市線『四條畷」下車、京阪バスで「寝屋川市駅」
OR「大和田駅」行きで「四條畷市役所」下車、東南へ約300m |
正法寺の縁起は聖武天皇の勅願により、行基菩薩が建立したの49院の1つという。元は清滝地区字正法寺(このページの一番下の写真)にあったが、元和年間(1615〜24年)に当地に移転、再興したと伝える。
清滝の正法寺跡は1969〜70年(昭和44〜5年)に発掘調査が行われ、東塔跡などが検出されると共に、出土した瓦から奈良時代前期に創建されたことが明らかになった。
当山の縁起を記した鐘銘には「創建時より仏殿、塔婆、僧房、門廊、鐘楼、浴室などを備え、弘仁年中(810〜24年)広智上人のもと大寺院となる。その後衰微したが天正年間(1573〜92年)に観海上人が再興し、元和年間(1615〜24年)円明上人が浄土宗に改宗した」と伝える。しかし、境内に『南無阿弥陀仏』と刻まれた「六字名号」(下の欄の写真参照)には「天文5年(1536年)」の銘があり、改宗の時期は元和より早い時期だったと思われる。
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[参考資料] 『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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正法寺の西側は畑が広がっており、現在のところ開発の波は押し寄せて来ていないようだ。
山門の際に建つ石碑(上記右の写真の右端の碑)には「准檀林」とあり、檀林とは仏教の学問所をいい、平安時代の檀林寺に始まるが、学問所を檀林と呼ぶようになったは室町末期以後のことである(「広辞苑」より)。 |
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正法寺本堂。
享保年間に建てられたものが、幾度の修復を経て現在に至っている。 |
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境内に建つ観音堂(正面の建物)と地蔵堂(手前、右側) |
山門を入った右手に置かれている貯水盤。
この貯水盤は1500年前の石棺を利用したのもで、石棺の蓋の部分は清滝の国中神社に置かれている。 |
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「六字妙号碑」(左側)は高さ150cm、天文5年(1536年)。「十三仏」(右側)は高さ180cm,天正18年(1580年)の銘がある。 |
境内には石仏が多くある。
写真は役行者像(一番奥)と弘法大像(その手前)。
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四條畷市清滝の旧正法寺跡地 |
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四條畷市清滝に残る旧正法寺跡地。旧寺域の一部は空地の状態で四條畷市の史跡に指定されている。 |
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河内三十三所観音霊場 |
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[2008年4月25日参拝] |
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