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所在地:枚方市招提元町1丁目
最寄駅:京阪本線「枚方市」駅下車、京阪バス「招提」方面行きで
「招提口」下車、 |
正念寺のある旧招提村は蓮如上人の6男蓮淳によって建立された招提惣道場(敬応寺)を中心とした寺内村で、他宗の存在を許さなかったが、1582年(天正10年)豊臣秀吉と明智光秀の山崎の合戦の際に門徒宗は光秀側に加担したため、光秀滅亡後、秀吉によって不入の特権を剥奪され、この制度も廃れ、寺内村としての歴史は幕を閉じた。以後は他宗の寺院も建立されるようになった。
当山の沿革は『枚方市史』によれば、「江戸初期・寛永末(1644年)の頃、招提村の小篠次大夫、小篠三右衛門、小嶋太左衛門が共に浄土宗であったところから、時の庄屋半兵衛正綱に了解を求め、正保年中(1644〜48年)に一宇の草堂を開創したと伝わる。このとき、20軒余りの檀家が出来たが、未だ寺号も定まらなかった。1691年(元禄4年)代官辻弥五左衛門願い出て、境内を除地に指定された。寺号もこの頃免許された」としている。
『大阪全志』には当山の開基について「元禄年中(1688〜1704年)の創立、僧伝誉の開山なり」とあるが、1681年(延宝9年)の『寺社改』には「看坊 観誉」とあり、1692年(元禄5年)の『寺社改』には「浄土宗黒谷派景福寺末正念寺 看坊 好誉」とあり、いずれの名前も異なっている。
旧招提村は宝永2年より享保15年(1705〜30年)までは本多伯耆守の所領であったが、伯耆守は1704年(宝永元年)より、幕府の老中を務めた関係で、当山では将軍や本多家の菩提を弔っている。
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[参考資料] 『枚方市史(昭和26年版)』 |
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正念寺山門。
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正念寺本堂。
この建物は右半分が本堂、左半分が庫裏となっており、堂庫裏とと呼ばれる建て方とのこと。
現在の本堂は1833年(明治16年)火災で全焼したのち、再建された。
この本堂は元は、京都府宇治郡醍醐村(現京都市伏見区)の醍醐寺塔頭三宝院の護摩堂で1885年(明治18年)に購入されたという。 |
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| 本堂の棟続きにある地蔵堂。
この建物は江戸の中期、村人淨欣らの発願により土岐の住職p誉が村役人への執政を以って建立された。 |
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地蔵堂に置かれている梵鐘。
案内板によるとこの鐘は「1827年(文政10年)当山31代住職頂誉了弁上人が調達した」とあり、先の大戦の供出を免れている。 |
境内に建つ宝篋印塔。
正念寺の納骨塔とのこと。
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石の地蔵尊が集められているお堂。 |
境内の見事な形の松は樹齢350年は超えるという。 |
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河内三十三所観音霊場 |
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[2008年8月19日参拝] |
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