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所在地:枚方市杉
最寄駅:京阪「枚方市」駅下車、京阪バス「穂谷」行で、「杉」下車、
杉の集落の丘の上 |
当山の開基は融通念仏宗中興の法明上人の弟子の実尊誠阿上人西願と伝わるが、天明期(1781〜89年)の火災で寺暦などが焼失したため詳細は不明。
実尊上人は佐太(現守口市)の来迎寺の開基でもあり、南北朝時代に活躍した僧であるが、来迎寺の建立が1347年(正平2年/貞和3年)といわれ、この時期から少し下がった時代に、隣町の尊延寺にある来雲寺に実尊上人が留錫し、来雲寺が融通念仏宗に宗旨替えした時期と重なるころの創建と思われるが、中世の融通念仏は、在郷村落に広範な広がりを有していたが、禅門(在家)による念仏講などが主体であり、寺院としての主体を持つものは少なかった。
当寺に伝わる過去帳の中で、1635年(寛永12年)の道心禅定門与兵衛の記載が最も古く、この時期に寺院としての体裁が整ったと思われる。
1757年(宝暦7年)の「来迎寺文書」には同寺の末寺であったことが見え、1872年(明治5年)に来迎寺が融通念仏宗から浄土宗に宗旨替えを行ったのに伴い、西方寺も浄土宗となり現在に至っている。
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[参考資料] 『枚方市の社寺建築』 枚方市教育委員会編 |
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西方寺は杉の集落の中の小高い丘の上にある。 |
西方寺への階段。 |
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西方寺本堂正面(左)と本堂の全景(右)。本堂は北に面して建てられており、境内のスペースは非常に狭い。
現在の本堂は2008年(平成20年)秋に新しく落慶したばかりであるが、以前の本堂は1721年(享保6年)の「普請願」が門真市の『平橋家大工組文書』の中に残されており、江戸中期の建築様式を伝えていた。
本堂の廊下に吊られている喚鐘には「享保19年(1734年)」の銘がある。 |
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勢至菩薩の石像。「弘化二乙巳歳十一月(1845年)」の記銘があり、周囲に世話人の名が彫られている。
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境内に端に建つ地蔵堂。
お堂の横(左側)に道標もあり、「左枚方 大坂」と読み取れ、別の場所にあったものが、持ち込まれたらしい。 |
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本堂の石垣の下には「六字名号」や石仏などが集められている。 |
西方寺敷地の斜面にそびえるイチョウの木。
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河内三十三所観音霊場 |
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[2009年3月10日参拝] |
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