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所在地:枚方市尊延寺5丁目
最寄駅:JR学研都市線「津田」OR「長尾」下車、京阪バス「穂谷」行きで「尊延寺」下車、西へ約200M |
当山の創基は天平時代聖武天皇勅願で宣教大師の創建と伝える旧尊延寺の46院の一であったと伝わる。
その後真言宗となり、1347年(貞和3年)融通念仏宗の佐太(現守口市)来迎寺を開山した実尊上人が当寺に留錫し、貞治年間(1362〜67年)その末となった。明治以降に浄土宗に改宗、現在に至っている。
来雲寺の本堂に「中興 享保五年(1720年) 法蓮社周誉上人」という浄土宗の位牌があり、『氷室村郷土史』には、天和〜正徳(1681〜1716年)の頃に同寺が浄土宗に改宗したとあり、この時期(元禄期前後)に旧本堂が建立されたと思われる。
来雲寺には1837年(天保8年)大塩平八郎の乱のとき当尊延寺村から参加し、逃亡先の能登で自害した深尾才次郎と連座して捕えられ、獄死した兄の次兵衛や母のぶの位牌や、旧尊延寺村で
大塩事件に関係した村人14名の過去帳が伝えられている。
また、1872年(明治5年)新しい学制制定に伴い当寺には、堺県河内国第六区郷学校分校が置かれた。
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[参考資料] 『枚方市の社寺建築』 枚方市教育委員会編 |
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来雲寺山門。
来雲寺は尊延寺の集落の中にある。 |
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来雲寺本堂全景。
4m程の道をはさんで厳島神社があり、この全景写真は厳島神社の境内から撮った。
明治初年の神仏分離令が出るまでは、来雲寺と厳島神社は一体であった。
| 本堂のアップ写真。
本堂は元禄時代の終りの頃(1700年の初め頃)に建てられ、1823年(文政6年)に再建されている。
1991年(平成3年)に改修工事が行われ、屋根が葺替えられた際、「文政六年再建」の棟札が発見された。 |
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来雲寺の鐘楼。 |
境内に建つ大日如来像と十三仏石塔。
十三仏石塔は1558年(永禄元年)と1612年(慶長16年)の銘がある。十三仏塔石は交野や寝屋川の寺院で多く見られるが枚方市内ではこの石塔が唯一とのこと。 |
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河内三十三所観音霊場 |
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[2008年8月20日参拝] |
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