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所在地:枚方市茄子作南町
最寄駅:京阪片野線「交野市駅」下車、西へ約500M、国道168号線を渡り、南へ約500M |
枚方市の南部、東高野街道が交野市に接した茄子作南町に本尊掛松跡がある。
「上人松」とも「ほととぎす松」とも言われた名木であったが、1897年(明治30年)頃枯れ、近年までその根幹が残っていたらしいが、現在はその跡地は整備され、新しい松が植えられている。
伝えられるところによると1321年(元亨元年)融通念仏宗中興の法明(ほうみょう)上人が、男山八幡の霊夢を受け、深江の庵室(現大阪市東成区南深江 法明寺)より、 東高野街道を男山に向かう途中、当地で同じ霊夢によって天得如来を奉じて深江に詣でる途中の八幡宮よりの使者に出会い、『十一尊天得如来』の画像を授けられた。
法明上人は歓喜のあまり尊像を傍らの松に架け、称名念仏を唱え踊りだしたという。これが融通念仏宗の念仏踊りの始まりとされされている。
「本尊掛松」の名はこの画像をかけたことに由来し、「ほととぎす松」とも言われるのは、ほととぎすの鳴き声が「ホンゾンカケタカ」と聞こえることによる。
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[参考資料] 『現地解説板』 枚方市教育委員会
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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「本尊掛松」の跡地は周辺は閑静な住宅地の中にある。右の写真の石像は法明上人のお姿で裏面には「弘化二巳年(1845年)四月廿四日 世話人交野門中」とあり、江戸末期交野在の信者の人々が建立したと思われる。 |
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本尊掛松跡地に建つ石碑。左の石碑はかなり年代ものらしい。右の石碑は融通念仏宗の総本山大念仏寺の建立。 |
総本山大念仏寺の境内に建つ「小川伊高公顕彰碑」 |
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小川伊高は石清水八幡宮の社司で1321年(元亨元年)交野郡茄子作村において、法明上人に『十一尊天得如来』画像を伝授したその人である。
その後伊高の子孫は永く平野郷に住し、法灯の外護者となったと伝わる。この碑は伊高の25代子孫が先祖の偉業を称えて1985年(昭和60年)に建立された。 |