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所在地:大阪市平野区平野上町1丁目
最寄駅:JR大和路線「平野」下車、南約400M OR 地下鉄谷町線
「平野」下車、北へ約800M |
当山は1127年(大治2年)、鳥羽上皇の勅願により聖応大師(良忍上人)によって開創された融通念仏宗の総本山である。 良忍上人が大原来迎院で融通念仏宗を開いたのは平安時代末期の1117年頃(永久5年)だといわれているが、大阪の四天王寺で念仏歓喜会を修したあと、ここ平野の修楽寺に宿泊していた折、上人の高徳を慕って集まった信徒の願望により、修楽寺を「融通念仏宗」の根本道場と定め、名も大念仏寺と改めたとのことである。
1182年(寿永元年)火災にあい、寺運も衰微したが、元享年間(1321〜24年)に7世法明上人により復興、以来、朝廷・徳川幕府歴代将軍の崇敬あつく、たびたび寄進をうけており、江戸初期の1615年(元和元年)に寺地が定まり、寛永から寛文年間(1624〜72年)には、総本山にふさわしい伽藍が営まれた。
また46世大通上人(1649〜1716年)の時代以降は、大念佛寺を中心とする融通念仏が一宗として幕府公認の教団組織をもつようになり、元禄年間にかけて境内の諸堂宇が建立され、伽藍が整備されている。
1898年(明治31年)火災により諸堂は消失したが、その後次第に再建され今日に至っている。
現在末寺として、主に大阪南部から奈良の生駒周辺・京都南部・三重県名張にかけ、約350寺ほどある。
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[参考資料] 『郷土資料事典』大阪府編 (株)人文社
『おおさか13仏巡礼』 おおさか13仏霊場会編 |
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木の陰になって見え難いが、この山門は現存する棟札から1706年(宝永3年)に大通上人によって創建されたことが判明している。
また、1901年(明治34年)には1898年(明治31年)の火災で一部破損した箇所を修理している。 |
小さなカメラではフレームに入り切れない立派な本堂。
(東西約50M、南北約40M、大阪府下最大の木造建造物とのこと) |
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境内の一角にある鳥羽上皇を奉安する霊明殿の正門。
霊明殿の創建は1156年(保元元年)第3世明応上人の時と伝える。江戸時代に徳川家康が合祀されている。
この正門はかなり古い時代を感じる建物であるが、これは江戸時代の遺構を残している。 |
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2008年(平成20年)大修復を施された霊明殿(右側の写真)と正門。新たに後小松天皇を合祀している。
後小松天皇は「融通念仏勧進帳」の序文をしたため、広く念仏を広めた。「後小松天皇宸翰融通念仏勧進帳」は国の重要文化財に指定されている。 |
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園通殿(観音堂)と堂名に安置されている観音像。園通殿は1693年(元禄6年)大通上人の創建。現在のものは1989年(平成元年)に修復されている。本尊の木造聖観音立像は伝教大師の作と伝える。 |
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大阪市の保存樹に指定されているくすのきの大木。
高さ18.9m、幹周り6.8m。 |
地蔵堂。
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摂津八十八ヶ所霊場 |
おおさか十三仏霊場 |
河内三十三ヶ所観音霊場 |
神仏霊場 |
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[2003年9月13日参拝] |
[2003年9月13日参拝] |
[2003年9月13日参拝] |
[2009年5月4日参拝] |