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所在地:
大念仏寺:大阪市平野区平野上町1丁目
道明寺天満宮:大阪府藤井寺市道明寺1丁目
玉手山公園:大阪府柏原市玉手町 |
小林一茶は江戸後期の俳人。1763年(宝暦13年)信濃柏原(現長野県信濃町)の生まれ、名は弥太郎。15歳で江戸に奉公に出された。以後10年間、流浪生活を続けながら俳諧に専念、25歳ごろ、葛飾派の竹阿に入門する。
1802年(享和2年)父が死亡し、以後10年以上にわたって異母弟との遺産相続争いが続く。遺産相続争い決着後、52歳のとき、初めて結婚し4人をもうけるも、全員が幼くして死亡。更に、妻とも死別する。その後、再婚するが、1827年(文政10年)64歳で没した。
幼少時からの逆境が、その作風に影響を与えたといわれる。強者への反感と弱者への同情、方言と俗語を使いこなし、不幸な経験からにじみ出た主観的、個性的な句で有名。主な著書は、「おらが春」、「父の終焉日記」、「一茶発句集」、「七番日記」、などがある。
大坂へは1975年(寛政7年)一茶が33歳のときに来坂しており、そのとき立ち寄り詠んだ句のうち、何か所には句碑が建てられている。
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[参考資料] 『現地説明板』 |
大念仏寺門前に建つ句碑 |
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大阪市平野区大念仏寺の山門の前にある小林一茶の句碑(平成10年建立)
1795年(寛政7年)3月27日、一茶はこの寺に参拝し、『春風や 巡礼どもが 練供養』という句を吟じている。一茶が見た練供養とは万部法会のことで、現在では5月に行われている。 |
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道明寺天満宮境内に建つ句碑 |
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藤井寺市道明寺天満宮の境内にある句碑。
『青梅や 餓鬼大将が 肌ぬいで 』
1795年(寛政7年)西国行脚中の4月3日には当宮に立ち寄り、この句を詠んだ。書は榊莫山の揮毫による。
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玉手山公園内に建つ句碑 |
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柏原市玉手山公園の頂上近くにある句碑。
一茶は、1795年(寛政7年)4月3日に葛井寺と道明寺に詣でた後、当時すでに景勝地として有名だった玉手山を訪れている。
ここ玉手山で詠まれた2句が、彼の著書「西国紀行」の真蹟から複写拡大して刻まれている。
1973年(昭和48年)の建立
原文は右側の碑に引用されている。
『寺は、道明寺という。わずかに行けば玉手山、尾州公の荼毘所あり。竜眼肉の木ありて、このかいわいの景勝地なり。艮の方にかつらぎ山見ゆる。折りから遊山人處々につどう。』(下にその拡大写真)
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『初蝉や 人松陰を したふ比』 |
『雲折りく 適に青菜見ゆ 玉手山』 |