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神社めぐり
神社めぐり 長岡天満宮
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道真の足跡へ




道明寺天満宮 所在地:大阪府藤井寺市道明寺1丁目
最寄駅:近鉄南大坂線「道明寺」下車、西へ約200M
道明寺と道明寺天満宮は古代、当地に集住した土師氏の氏寺(土師寺)と氏神(土師神社)の関係に発すると言われており、明治初年の神仏分離までは、現在は西隣りある道明寺も当社の境内にあり、両者は一体であった。
 パンフレットによると『西暦3年(垂仁天皇32年)野見宿祢が、「はにわ」を創って殉死に代えた功績で、「土師」の姓とこの辺り一帯を所領地として賜わって以来、遠祖天穂日命をお祀りしたのが「土師神社」の始まりです。その後、仏教が伝来し、推古天皇の2年、聖徳太子の発願により、土師八嶋が自宅を喜捨し「土師寺」が建てられました。』とあり、古くから神仏習合の形を取っていたものと思われる。
 道真が大宰府でなくなった後、947年(天歴元年)、道真が遺した木像を祀り、遺品を神宝として安置し、土師寺を道明寺と改称した。
 1575年(天正3年)高屋城の兵乱で、社殿等が焼失したが、織田信長豊臣秀吉よりの寄進を受け、秀吉より寄進された寺領174石余は徳川家康からも安堵され、幕末まで認められている。
  明治初年の神仏分離令により、5坊の中、一之室、二之室の住持が神職家となり、天満宮を継ぎ、道明寺は道を隔てて西に移築され、現在に至っている。

[参考資料] 『道明寺天満宮略記』 道明寺天満宮パンフレット
道明寺天満宮入口 道明寺天満宮注蓮柱
天満宮の入口はお寺の山門のイメージがそのまま残っている。 注蓮柱(しめばしら)の文字は藤沢南岳の揮毫による。
そういえば、この神社は他の神社では多く見られる鳥居は非常に少ない。
道明寺天満宮本殿 道明寺天満宮能楽殿
現本殿の建立年代は不明であるが、江戸時代初期に建てられたのではないかと言われている。
菅原道真、天穂日命、覚寿尼を祭神として祀っている。
本殿の前にある能楽殿。
1815年(文化12年)に建てられており、大阪府下では最古のもの。
境内社・土師社 境内社・白太夫社
947年(天歴元年)道明寺天満宮が創建されるまでは、当地に祀られていた土師社。天満宮となってからは境内摂社的な位置づけにある。
祭神は天夷鳥命(天穂日命の子)・野見宿祢・大国主命の3柱が祀られている。
境内社の1つ、白太夫社。
菅原道真が大宰府へ左遷の折、道真に随行した白太夫命を祀っている。

古墳から出土した修羅 土師窯跡の碑
1978年(昭和53年)当宮氏地内の三ツ塚古墳の周濠から大小2基の修羅が出土し、あの奈良薬師寺東塔の再建に携わった宮大工西岡常一氏らが復元した。5世紀中頃の墳墓造営の道具として活用したものと思われる。 神社の入口のところに建てられている「土師窯跡」の碑。このあたりに居住していた土師氏は、窯業、墳墓造りなどの土木工事を、生業とした一族であった。
ご朱印
道明寺天満宮朱印
[2005年6月1日参拝]

神社-61/TTL-396

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