  |
所在地:藤井寺市道明寺1丁目
最寄駅:近鉄南大坂線「道明寺」下車、西へ約200M |
当山の縁起は、寺伝によれば、6世紀末に土師連八嶋が自宅の一部を精舎としたことに始まると伝わり、土師寺と呼ばれていたが、道明寺の名は菅原道真の号である道明からかえたともいわれる。
土師氏を祖先とする菅原道真が中央で活躍していたころ、当寺の住持は道真の伯母覚寿尼であった。その縁で道真は度々当寺を訪れたといわれる。また、道真が太宰府へと左遷される途中、覚寿尼に別れを告げるため立ち寄り、『啼けばこそ 別れも憂けれ 鶏の音の 鳴からむ里の 暁もかな』の1首を残している。この歌が伝わった道明寺村ではその後、鶏を飼わなくなったという話があったが、現在はどうであろうか。
境内に掲示されてある「道明寺天満宮絵図」によれば、かっての道明寺は現在の天満宮の南側に、御堂を南北に並べた伽藍配置(四天王寺式伽藍配置)であったが、度々石川の氾濫で洪水に遭い、1716年(正徳5年)の大洪水では、諸堂宇の被害が大きく、1724年(享保9年)現在の天満宮がある高台に移っている。(近年の発掘調査によれば、7世紀後半の奈良前期の創建と見られる)
明治初年の神仏分離令により、堂宇一切を天満宮境内より現在地に移し、境内の拡張を経て現在に至っている。
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[参考資料] 『道明寺略縁起』 道明寺パンフレット |
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道明寺天満宮より西へ、通りを1つ隔てた所に道明寺の山門(南大門)はある。山門はすこし奥まったところにあり、アプローチ的な効果がある。(山門の向こうに見える堂は大師堂) |
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本堂は1919年(大正8年)の再建。
本堂には、いずれも道真の作と伝わる十一面観世音菩薩立像2体が安置されている。
1体は道真36歳の夏、道明寺に来たおり、刻んだ本尊(国宝)と、もう1体は大宰府へ左遷されたおり、当寺に立ち寄り、一夜で彫ったと伝えられる像(試みの観音:重文)だが、近年の年代測定では奈良時代末まで遡るようだ。 |
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 |
山門を通り、境内の正面(北側)にある大師堂。 |
境内に建てられていた歌碑。
ホトトギス創刊100年を記念して、1995年(平成7年)同人の方の歌碑が建てられている。 |
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 |
大師堂の前に植えられているかりんの古木。
数年前に訪れたときには多くの実をつけていたが、今年は不作とみえ、数える程にしか実をつけていない。 |
多宝塔の前にある英文の解説碑文。
多宝塔の寄進者が、外国よりの参拝者を意識して、建てたとのことである。 |