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霊場参拝
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第25番
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白雲山 金龍寺 所在地:枚方市茄子作北町
最寄駅:京阪本線「枚方市駅」から京阪バス「釈尊寺団地」行で、京阪バス「茄子作北町」下車、すぐ
当山は元は霊鷲山 釈尊寺の別院で、奈良時代、行基菩薩の開基とも伝え、或は958年(天徳2年)の創建とも伝わる。この差は200年もあるが、いずれにしても1000年以上の歴史を持つ寺院である。
元は天台宗であったといい(現在は浄土宗)、1573年(天正元年)安貞の中興。安貞から14代は尼寺であった。
大坂夏の陣の際、徳川方の陣地となったとも伝わるが、この戦乱で堂宇が破損、寛永年間(1622〜44年)に再興された。当山には東照宮大権現(徳川家康)を始め4代将軍までの位牌があるとの事で、このことは徳川方の陣地になった事との関わりあると思われる。
当寺にはかっては1754年(宝暦4年)田中家が鋳造した梵鐘があったようだが、現在は鐘楼はなく、その音色は聞くことができない。

[参考資料] 『枚方市史(昭和26年版)』
金龍寺山門 金龍寺山門。
金龍寺本堂。
『枚方市史』にはこの市史が編纂された1951年(昭和26年)当寺の本堂は1688年(貞享5年)の建立としているが、現在の本堂は鉄筋コンクリート造りで、今から約40年前に建て替えられている。
本尊は阿弥陀如来、33所本尊の薬師如来は行基の作と伝わる。
金龍寺本堂
金龍寺地蔵堂
山門への参道の脇に建つ地蔵堂。 境内の一角に集められている石像。
元宮記念碑 ちから石
境内に建つ「元宮記念碑」。
かっては境内に荒神宮があり、枚方市史によると、釈尊寺に残る記録に「鎮守春日大明神、三宝荒神両社有り」とあり、氏宮春日神社(茄子作3丁目)に対して、元宮と称していたが、明治初年の神仏分離により、春日神社に合祀された。この碑はその名残の記念碑とのこと。
「ちから石」。
かっては若者の力比べのため、神社や寺院などで多く見られた。この石は上の写真の地蔵堂の前にあったが、散失を防ぐため「由来碑」が建てられ、保存されている。
ご朱印
河内三十三所観音霊場
[2008年10月30日参拝]

寺院-249/TTL-666

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