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所在地:枚方市釈尊寺町
最寄駅:京阪本線「枚方市駅」から京阪バス「釈尊寺団地」行で、京阪バス「釈尊寺」下車、集落の中の道を北東へ約250m |
当山に伝わる『釈尊寺縁起』によると行基菩薩の開基で、元は行基寺と称し、平安中期の一条天皇(在位:986〜1011年)のとき、現寺号・山号に改めたとする。
同縁起には987年(永延元年)東大寺の僧「然(ちょうねん)が宋より将来の赤栴檀(あかせんだん)の釈迦像を安置、御一条天皇(在位:1016年〜36年)より「霊鷲山」の勅額を賜ったことを記す。
この釈迦像は80年後京都千本釈迦堂大報恩寺に、さらに若狭国小浜に移され、3年後、京都嵯峨清凉寺の本尊として安置された。世に「三国伝来の釈迦」として著名なる像である。
当時の釈尊寺は七堂伽藍、12坊舎が備わり、本堂は8間4面の大きさで、寺領は320石と伝える。
寺は度々の兵火で衰退し、1831年(天保4年)には火災に遭い、堂宇は灰燼に帰している。元来無本寺であったが、1731年(享保16年)浄土宗知恩院末となっている。
古記録によると茄子作の白雲山 金龍寺は当寺の別院で、同地の春日神社は鎮守という。 |
「然:平安中期、東大寺の学僧。、938年(天慶元年)京都生まれ。
983年(永観元年)入宋。時の皇帝太宗は彼を国賓として待遇し、大師号や新印大蔵経などを賜って帰国。帰朝後、嵯峨に清涼寺を建て、三国伝来の釈迦像などを将来、安置した。1016年(長和4年)86歳で入寂。
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[参考資料] 『枚方市史(昭和26年版)』&『現地解説板(枚方市教育委員会)』 |
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下の道から釈尊寺への上り口。 |
釈尊寺山門。 |
釈尊寺本堂。
現在の本堂は1966年(昭和41年)の再建。
本尊は「然が将来した清涼寺釈迦像を摸刻したものと伝わる。鎌倉時代初期の作で、1970年(昭和45年)大阪府の有形文化財の指定を受けている。
像高約167cm、構造は赤栴檀色を塗布したヒノキ材の寄木作。光背は宝相華透彫で1736年(享保21年)に多少の修理が施されている。 |
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境内の一角に集められた石像仏。
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境内墓地の一角には、江戸時代の墓が集められている。天保年間の記銘が多い。 |
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河内三十三所観音霊場 |
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[2008年10月30日参拝] |
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