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所在地:京都市上京区七本松通今出川上る
最寄駅:市バス京都駅より「立命館大学前」行で「上七軒」下車、
北へすぐ |
瑞応山大報恩寺(千本釈迦堂)は今から770余年前、鎌倉初期の1221年(貞久3年)求法上人義空によって開創された寺で、釈迦念仏の道場として釈迦如来像、 十大弟子像を安置したのがその 始まりと伝わる。
本堂は創建時そのままのものであり、応仁の乱では西軍の中心地であったが、奇跡的にも災火をまぬがれた京洛最古の建造物として国宝に指定されている。
求法上人義空は、藤原秀衡の孫にあたり、19才で叡山澄憲僧都に師事、天台密教を会得し、10数年後に寄進を受けたこの地に苦難の末、本堂をはじめ諸伽藍を建立したといわれている。
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[参考資料] 『現地案内板』 |
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境内入り口には『千本釈迦堂』と彫られた大きな石柱がある。
通称「千本釈迦堂」と呼ばれるのは、嵯峨の釈迦堂 (清凉寺)と区別する意味で、千本通りの釈迦堂からきているとのことである。 |
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「北野経王堂」の横に「山名陸奥大守氏清之碑」
(向かって左側)が建てられている。 |
この堂は明徳の乱で敗れ、戦死した山名氏清を弔うため1401年(応永8年)に足利義満が内野に建てたといわれる「北野経王堂願成就寺」を、後に解体縮小してここに移した。 |
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本堂は応仁の乱、大永の乱、享保の 大火でも戦禍、災難を免れ、市内の 寺院としては最古の本堂である。 |
境内にあるおかめ像。
本堂の建築は、当時名工として知られた長井飛騨守高次が総棟梁として 選ばれた。
途中工事を失敗し、妻の阿亀のアイデアを取り入れ無事完成したが、阿亀は夫の失敗を人に知られたと思い、自害したと伝わる。 |
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新西国三十三ヶ所霊場 |
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[2004年4月20日参拝] |
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