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神社めぐり
神社めぐり 北野天満宮(1)
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北野天満宮 (1) 所在地:京都市上京区博労町
最寄駅:京都駅から市バス[立命館大学前」行で「北野天満宮前」
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現在、全国で菅原道真を祭神とする「天満宮(天神社)」は全国で12000社にものぼるといわれるが、北野天満宮はその宗祀である。
その縁起は、942年(天慶5年)西京に住む、多治比文子に天神の神託があり、『「われを北野の右近の馬場に祀れ』とのことであったが、彼女の家は貧しく、社殿を作ることが出来ず、自宅に祀っていた。946年(天慶9年)、近江国比良宮の神官の子、太郎丸が同じ託宣を受けた。そして、太郎丸の父良種が多治比文子に協力し、現在地に創建されたのが、北野天満宮である(古くは北野寺、北野社ともいわれた)。その創建に当たっては近辺の寺院の僧侶も協力したと伝わる。
 978年(永延元年)一条天皇の令により初めて勅祭が執り行われ、「北野天満宮」の神号を得た。1004年(寛弘元年)の一条天皇の行幸を初めとし、以降、天皇・上皇の行幸も度々あり奉幣祈願の絶ゆることはなかった。
 社殿はしばしば兵火によって焼失し、現在の建物の殆んどが1607年(慶長12年)豊臣秀頼片桐且元を奉行として、造営したものである。

[参考資料] 『北野天満宮参拝の栞』 北野天満宮パンフレット
         『京都史跡事典』石田孝喜著 新人物往来社
北野天満宮中門

北野天満宮楼門
中門(三光門)の『天満宮』額は後西天皇筆(第111代天皇 在位:1656~63)によるものである。
建物は重要文化財に指定されている。
一の鳥居をくぐり、参道を行くと、正面に見える楼門。
現在の本殿(国宝)は豊臣秀吉の遺志により、1607年(慶長12年)豊臣秀頼が造営。この時作られた中門(上記写真)、東門、絵馬堂、神楽殿、校倉等も現存している。
修学旅行生のための、京都観光の標準コースになっているらしく、境内の中は学生が多数参拝していた。
北野天満宮本殿
北野大茶湯旧跡 現在、駐車場になっているあたりは(天正15年)豊臣秀吉が「北野大茶湯」と催した旧跡で、大きな石碑が建っている。
駐車場の真ん中にある「太閤井戸」 境内の東側にある茶室「松向庵」
その時、茶の水を汲んだとされる「太閤井戸」が駐車場の真ん中にある。車の衝突防止柵が設けられている。 境内の東側にある茶室「松向庵」には、細川忠興が使用したと伝わる「三斎井戸」も現存する。
ご朱印
北野天満宮朱印
[2004年4月20日参拝] ⇒北野天満宮(2)へ

神社-035/TTL-191

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