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神社めぐり 北野天満宮(2)
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・06/4/30 「文子社」、「和魂漢才碑」写真追加
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北野天満宮 (2)
北野天満宮の境内とその付近にある、菅原道真ゆかりの史跡を訪ねた。
右近衛府馬場の跡 右近馬場の解説案内板 
 東側外堀はかっての近衛府の馬場の跡で、右近衛大将であった菅原道真は好んでこの馬場に臨んだといわれる。現在は参拝者の駐車場になっている。 「京都謡曲史跡保存会」の右近の馬場の解説案内板 往時は桜の名所であったとの ことである。
北野天満宮の境内社の「伴氏社(ともうじのやしろ)」。
菅原道真の母を祀る。母は大伴氏出身であることより、伴氏社と称する。
かってはここに石造りの五輪塔が置かれていたが、明治の初めの神仏分離で、東向観音寺に移されている(下の写真)。
神前の石の鳥居は鎌倉時代のもので、国の重要文化財に指定されている。
北野天満宮伴氏社
観音寺伴氏墓-1 東向観音寺
北野天満宮に隣接してある東向観音寺の境内には、1871年(明治4年)伴氏社から移された、菅原道真の母・伴氏の五輪塔がある。五輪塔は優に3mは越える巨大なものである  東向観音寺は北野天満宮の参道に面している。
正面の本堂は1596年(慶長元年)の再建。道真自作と伝える十一面観音を安置している。
本殿の北側に祀られている境内末社の「文子社」。
高さ2.5m程の社で、北野天満宮の生みの親の1人である多治比文子を祀るにしては、ここ天満宮の境内ある数多い摂・末社の中でも、とりわけ小さな社である。
1873年(明治6年)に境内に遷宮されている。
北野天満宮境内末社文子社
北野天満宮境内和魂漢才碑 境内に建つ「和魂漢才碑」
『菅家遺誡』の中の和魂漢才に関する2章が記されている。傍らの解説板によれば、1848年(嘉永元年)座田維貞という人が東坊城聡長に揮毫を請い、建碑したとある。

・座田維貞:幕末の漢学者。京都の人。1857年(安政4年)没。
・東坊城聡長:(1799年(寛政11年)~1861年(文久元年))大納言。東坊城家は代々天皇の侍読(教授)を務める家柄。

『菅家遺誡』:作者不明(平安末期OR鎌倉時代に成立)
菅原道真に仮託して、公家の留意すべき事柄35章を上げ、終りに和魂漢才説を述べる。(広辞苑より)

神社-036/TTL-192

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